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0023大竹正輝

東ちずるさんが主催する、障害のあるなしや男か女かなど、すべての価値観を超越するパフォーマーたちの自由な表現を発信する「月夜のからくりハウス」というイベントのお手伝いをさせていただいたご縁で知己を得たドラァグクイーン、“ドリアン・ロロブリジーダ”さん。数々のイベントやコンサート、PV、ファッションショー、CMなどでの活動に加え、男性シンガー「MASAKI」としても活躍されている大竹正輝さんに、素顔でお話を聞いた。

伊島薫

あくまでも“正輝が派手な女装をしている”というだけだったんです

伊島 このミックスマガジンというのは人種のミックスであるとか、国籍のミックスであるとか、カルチャーのミックスであったり、ジェンダーのミックスであったり、いろんなミックスの人達を取り上げようという趣旨のメディアでして。大竹さんとは、最初ドリアン・ロロブリジーダさんとして「月夜のからくりハウス」という舞台でお会いしまして、ドラァグクイーンをやっていらっしゃるということだったので、ジェンダーのミックスなのかなと。僕はそのあたりのことがあまりわかっていないということもあって、今日はである大竹正輝さんにいろいろお話を聞かせていただきたいと思っています。正輝さんとお呼びしてもいいですか。

正輝 はい。お好きにお呼びください。自分はおそらく二つのミックスだと思っていて、まずはジェンダー、セクシュアリティのミックス。自分が男性として同性の男性のことが好きなゲイなんですけど、そこがまずヘテロセクシャル=異性愛のみなさんとは違うところじゃないかと。あとゲイの中でもみんながみんなドラァグクイーンをやっているわけではなくて、表現する性というところで言うと、自分はドラァグクイーンとして女性に近い派手な格好をしているという点で、実際のセクシュアリティと表現する性の二つがミックスされているのかなと思っています。

伊島 正輝さんがご自分をゲイだと仰るのは、自分は男で、でも好きな人も男であるというわけですね。

正輝 はい。

伊島 僕の古くからの友人で、もともと女性の身体を持って生まれたんだけど、小さい頃から自分は男なんだと感じていて、そういうギャップにすごく苦しんできたと言うんです。その人の場合、身体は女性なんだけど、女性として女性が好きなわけではなくて、男性として女性が好きだっていうことなんです。つまり、いろんな方がいらっしゃるわけですよね。

正輝 本当にいろんな方がいらっしゃいます。自分のパートナーも同じで、生まれてきた身体の性は女性なんですが、自分のことをずっと男だと感じていて、男性として男性が好きなんです。彼と自分の関係は戸籍でいうと女性と男性なんですが、男性同士という感覚で付き合っています。最近だとLGBTという言葉が独り歩きしているんですが、100人いれば100通りのセクシュアリティとジェンダーがあると思っています。

伊島 僕もそう思います。僕は「月夜のからくりハウス」でドリアンさんのことを知ってから、ドリアンさんの活動をネットで見たりとかインスタで見させてもらったりしていて、すごく活動の幅が広いし、幅だけじゃなくてすごくクオリティが高かったり、例えばメイクとか衣装にしてもすごくアーティスティックだなと感心してたんです。

正輝 ありがとうございます。日本にドラァグクイーンって2、3百人くらいいて、自分は16年前の2006年にドリアン・ロロブリジーダという名前で活動を始めたんです。当時は大学生をしながらだったんですが、それよりさらに前の高校3年生から趣味で女装はしていたんです。それは決して女性になりたいからではなくて、グラムロックやデヴィッド・ボウイなどに近い感覚だったかもしれません。派手に着飾って「綺麗」だったり「カッコいい」って言われたいというところもあって、友達と近所のカラオケのパーティールームで女装してカラオケしたり、大学の学園祭でひとりで勝手に女装して練り歩いたりとかいろいろやっていました。その時はドリアンという名前ではやっていなかったので、あくまでも“正輝が派手な女装をしている”というだけだったんですが、2006年に新宿二丁目で開催されたあるイベントがあって、そこでドリアン・ロロブリジーダというものが生まれました。そこからずっと活動しているんですが、正直メイクの技術も日本のドラァグクイーンの中では上手い方じゃないんです。もっと上手い人がたくさんいらっしゃるし、衣装やウィッグも自分で作られる方がたくさんいらっしゃるんです。自分は衣装制作も踊りもできないので、それじゃあ自分の売りってなんなんだろうって考えながらやってきた16年間です。

10年くらい活動をやっているとだんだんと

“別に誰がなにをやってもいいんじゃないか”と思うようになって

伊島 ともかく背は高いですよね。

正輝 それは恵まれましたね。舞台映えはすると思います。

伊島 バンって一発で目が行っちゃいますよね。

正輝 上背はあって高いヒールも履くので、デカさはアイデンティティのひとつだなと思っています。

伊島 ヒール履いた状態だと2メートルくらいなんでしたっけ?

正輝 ミニマム2メートルで、ウィッグを着けると2.3~4メートルになります。

伊島 ミニマムで2メートルなんですね。

正輝 声も大きいので、実際に声を出させて貰える舞台だとしっかりお客様に見つけていただけるかなと。

伊島 声もよく通るいい声をしてますよね。

正輝 ただドラァグクイーンの本来の芸というのは、「リップシンク」といってダイアナ・ロスやビヨンセなどのディーバたちの楽曲に合わせて、さも自分が歌ってるかのようにリップをシンクロさせる芸なのです。ドラァグクイーンが生声で歌うのはある意味亜流で、最近はその亜流に挑戦させてもらってるんです。

伊島 そうだったんですね。ファーストテイクのいろんな人バージョンみたいなものは、ドラァグクイーンの領域には入らない別の表現なんですか?

正輝 また別のベクトルとして、小さい頃から歌が好きでずっと歌ってきたんです。ドラァグクイーンとしてデビューした当初は、女装が生歌を歌うことに対しての違和感のような空気が流れていたんですが、10年くらい活動をやっているとだんだんと“別に誰がなにをやってもいいんじゃないか”と思うようになって歌い始めました。そうしたらいろいろなものの歯車が回り出して。YouTubeも女装してただ歌っているだけなんですけど、それも「ドラァグクイーン」と「歌」が合わさった一つのコンテンツとして、なにかのきっかけになればいいなって思っています。

八方不美人

伊島 つい最近インスタで八方不美人というのを見たんですが、あれは実際にステージで歌ってるんですか?

正輝 生歌で歌ってます。

伊島 3人でやってらっしゃるんですね。

正輝 2018年の12月に同じように歌が好きという思いを抱えていたドラァグクイーン3人で結成しました。及川眠子さんと中崎英也さんという日本のJ-POPをずっと引っ張ってきたお二人にプロデュースしていただけることになって、楽曲の作詞作曲も全てお二人によるものです。最近はコロナで思うようにステージができなかったりしたのですが、三年前には東京国際フォーラムの一番大きいホールで歌わせていただいたり、先日もピンク・レディーの未唯mieさんのライブに呼んでいただいて4人で「モンスター」を歌ったり、様々な活動をさせていただいています。新人にしては分不相応な、いろいろなステージに立たせていただいています。

伊島 新人と言っても何年くらいですか?

正輝 ユニットとしてのキャリアは3年なんですが、それぞれのクイーンとしてのキャリアでいうと28年/16年/5年とバラバラなんです。

アーティストではなくマーケッターじゃないのかって思うことがしばしばあります。

伊島 僕、実はGainer(男性ファッション雑誌ゲイナー)を拝見したんです。インタビューさせていただくことになって、軽く下調べをしていたら、「化粧品会社のPR担当、大竹正輝」という記事に目が止まって。あれは大学を出てすぐの頃ですか?

正輝 私がジャケットを着て気取ってるやつですよね。自分、大学は卒業していないんですよ。大学に通っている間に夜遊びやドラァグクイーンとかを覚えて、ほぼ学校へも行かなくなってしまい、丸5年在籍して退学したんです。先ほどの雑誌に掲載されていたその化粧品メーカーにたまたま新卒扱いで入れていただいて、そこで7、8年働いた後イスラエルの化粧品ブランドのSABONという会社に移って、その後リーボックに転職しました。サラリーマン生活でいうと11、12年やったのですが、2020年の3月に女装1本で頑張ってみようとなりました。専業としてのドラァグクイーンはほんとうに最近なんです。女装1本で始めようと思って会社を辞めたら、世界がコロナパニックになって。コロナ禍になる前にいろいろ決まっていた仕事が全部飛んじゃって、さぁどうしようかなとYouTubeや配信でいろいろ試行錯誤してやりだしたことが、多くの方に知ってもらえるきっかけになりましたね。

伊島 PRの仕事をしてたわけだから宣伝は上手そうですよね。

正輝 上手いんです(笑)PRだった時はPRするものが企業だったりブランドだったり商品だったりしたんですが、今はそれが“自分”というものになっている感覚です。これはひとつ悩みでもあるんですが、ドラァグクイーンはアーティストであるべきだとも思っていて、ステージの上に立って愚直に芸を追及していくのがドラァグクイーンの一つの理想形だと自分は感じているんです。でも今自分がやっていることはそこから遠く離れていて、アーティストではなくマーケッターじゃないのかって思うことがしばしばあります。「このタイミングでこれをすればこういう反応があるかな」といつも考えてしまうんです。それがクイーンとしての道からそれてる気もしていて。

伊島 僕はそこもミックスにこじつける訳じゃないけど、ドラァグクイーンだけじゃなくて、なりきりファーストテイクっていうのもやってらっしゃいますよね。

The First Take Durian Lollobrigida

自分がゲイであることの後ろめたさだったり孤独感のようなものを感じたことはあまりないんですよね。

正輝 ただ歌ってるだけなんですけどね。

伊島 ああいうのも面白いと思うし、ドラァグクイーンの流れかもしれないけど三人でやっている八方不美人の活動もそれはそれで面白いし、あとお店とかに出張してやっている…

正輝 「談話室ドリアン」ですね。これはもともと友人が二丁目でやっている店を定休日に借りて、そこだけちょっと間借りするよって感じで始まった企画ではあったんですが、ありがたいことにたくさんのお客様にいらしていただけるようになって。コロナになってからは配信という形になったんですが、それでもたくさんの方にお会いするきっかけになったりしています。あと「ふたりのビッグショー」という、友人のゲイと二人ですっぴんで歌を歌う活動もしています。ただやりたいことやっているだけなんですけどね。

伊島 そういうことを全部ひっくるめて大竹正輝さんだなって気がします。実際すっぴんというか普段の姿もすごい二枚目だし、カッコいいし素敵だなって思います。

正輝 ありがとうございます!嬉しいわ!光栄だわぁ!

伊島 出身はどちらですか?

正輝 東京です。母が青森出身で父が東京の人で、母が東京の大学に来た時に出会って結婚しました。生まれは江東区の木場で、三歳くらいの時に調布に引っ越ししてからはずっとそこで育ちました。東京の中心は外れているので“アーバンガール感”は全然ないんですけれど(笑)

伊島 ゲイに目覚めたのはいつ頃なんですか?

正輝 振り返ってみると生まれてからずっとゲイだったと感じています。男性に恋心を抱くよりも男性と性的関係を結んだ方が早かったんですね。自分がはじめて殿方と契りを交わしたのが15歳くらいの時で、そのちょっと前に我が家にパソコンがやってきたんですよ。インターネットというものに出会って、いろいろな言葉を検索してサイトとかを見てる中で、「ゲイ」って検索した時にめくるめく世界が画面の中に広がっていて。日本のゲイの総合情報サイトの中に出会い系コーナーみたいなものがあって、そこで知り合った人に会いに行ってエッチしたのが初めてだったんです。その時は特に自分がゲイだって自意識はそこまでなくて、周りのクラスメイトがやっていないようなアングラな遊びをしている、という感覚でした。18歳くらいの時にはじめて男の人に惚れて好きになって、そこでようやく自分はゲイなんだって自覚するようになりました。その好きになった人が二丁目やクラブやいろいろな所に連れて行ってくれて。クラブとかに行くと見目麗しい殿方達がたくさんいて、ここにいる人がみんなゲイなんだって思った時に、「ゲイってめっちゃ素敵じゃん!」という感覚になれたんです。自分がゲイであることの後ろめたさだったり孤独感のようなものを感じたことはあまりないんですよね。

アクが強いので世間のみなさまに受け入れていただけるかどうか。

伊島 それでいじめられたとかはあんまりないわけですね。

正輝 今思えば、小学3年生くらいの時にクラスメイトから「オカマ!」って呼ばれていたこともありました。でも全然いじめられていたという感じではなくて、どちらかというとみんなを盛り上げる役でした。ただ「アンタのせいでお兄ちゃんがオカマの兄貴って呼ばれてるのよ!」って母親に怒られたことはあります(笑)

伊島 その頃からエンターテイナー気質だったんですね。

正輝 もう三歳くらいの時からずっとです。

伊島 じゃあ「オカマ!」って言われてもそれをいいことに(笑)

正輝 「なによー!」くらいの(笑)ただこれは正解でもなんでもなくて、ただ自分はそうだったというだけのことなんですが。

伊島 でも、これからすごく売れそうな気がしますねよ。

正輝 どうなんでしょうねぇ。もうちょっと歳が若かったらいいんでしょうけれど。

伊島 さっきサラリーマン生活の話を聞いていて、ある程度年齢いってらっしゃるんだなって思いましたけど…

正輝 今年38になります。

伊島 30前後だと思っていました。

正輝 丹念にお手入れした甲斐があったわぁ(笑) でも今からハリウッド目指そうとかそういう気はサラサラないので、身の丈のちょっと上くらいを目指していけたらいいかなって思っています。

伊島 比較するのは変かもしれないけど、マツコ・デラックスさんとかミッツ・マングローブさんとか、あの域にはすぐ行きそうな気がするんですけど…

正輝 尊敬する先輩たちです。どうなんでしょう…お二人の立ち位置にそのまま行きたいわけではなくて。マツコさんやミッツさんはそれぞれが切り開いた素晴らしい道と業績があるので、その“二番目”は嫌だなって感じるところもあって、まだ誰もやったことのないジャンルを確立したいとは思っています。すっぴんを積極的に晒していくってこともその一つではあるんですけれど。

伊島 そういうマツコさんやミッツさんみたいな存在というより、別の意味でお二人と同じくらいポピュラーな存在になるんじゃないかなっていう感じはすごくします。

正輝 アクが強いので世間のみなさまに受け入れていただけるかどうか。

伊島 今僕の目の前にいる正輝さんと、ドリアン・ロロブリジーダになってる時のギャップはすごいですからね。

正輝 そこをうまく使い分けて両方でやっていくって、それもマーケッター的な発想になってしまうんですよ。昼間の仕事をしていた時の「ここはもうレッドオーシャンだから、ちょっと手法を変えてあそこのマーケットを開拓しよう」みたいに考えてしまう癖が抜けないんですよね。

伊島 そこは強味なんじゃないですか。

正輝 一つの理想としてはピーターさんと池畑慎之介さんのような形で、大竹正輝とドリアン・ロロブリジーダのそれぞれの世界をお届けできればいいなと思っています。

重油にまみれたりとか。黒いドロンとした中とかで、汚く死にたい。

伊島 素晴らしいと思います。いずれ“死体シリーズ”もやっていただけたらと思っています。

正輝 やったぁ!絶対やりたいです!あちらのシリーズ、永瀬正敏さんが女装して死んでいるというシーンはありましたが、ドラァグクイーンはまだいないですよね?

伊島 いないですね。

正輝 超やりたいです!なんでこんなにオカマ心をくすぐるのか分からないですが、“死体シリーズ”が大好きなゲイはホントに多いんですよ。

伊島 もうここしばらくはやっていなくて、どうしてかって言うとあれ51人撮ったんですけど、最初撮影したのは1993年かな。それで2005、6年くらいまでやってたんです。あれはモデルになってくれる人に、どういう死に方をしたいですかって話を聞くところから始まるんですね。それでその人のいろんなアイデアとか妄想を、じゃあ僕が絵にするとしたらこうかなっていう形で作り上げて行くんですけど、数が重ねるにつれてみなさんの死に方が積み上がって行くから、出てくるイメージがどんどんエスカレートして行って(笑)

正輝 最初は公園で死んでいるだけで良かったのに、みたいな(笑)

伊島 そうなんですよ。僕の事務所は昔からこの辺にあって、最初の頃の撮影はほぼこの辺でやってたんです。

正輝 この辺で死んでいたんですね(笑)

伊島 ここの上の部屋で死んだ人もいたし、この今まさに僕たちがいる場所で死んだ人もいましたし(笑)

正輝 あのシリーズってほんとうにイマジネーションをかきたてるじゃないですか。自分だったらどういう死に方をしようかって、みんな考えると思うんですよ。

伊島 正輝さんならどういうのがいいですか?

正輝 ホントは生首がゴロンッとかやりたいんですけれど、それは無理だと思うので、汚くてもいいから派手に死にたいですね。美しい顔ではなくてもいいので、化粧がベロンって落ちていたり、コールタールみたいなものがドロっとかかっていたりとか、重油にまみれたりとか。黒いドロンとした中とかで、汚く死にたい。思いっきり汚く派手に(笑)せっかくオカマがやるのなら、それくらいやらないとね。

伊島 当然衣装は派手でメイクもしてね。

正輝 メイクはビッチリ美人でもいいし、ちょっと剥がれていてもいいし。いろいろ遊び甲斐があるなって思います。

伊島 重油かぁ。それはそれで黒くテカッとしていて綺麗そうですけどね。どこでやればいいんだろうなぁ。

正輝 地方の屠殺場の水桶みたいな所や廃ホテルのプールにバァーっと流してとか…。こういう風にどんどん妄想が広がるのであの企画はほんとうに楽しいんです。

本当に自然の摂理で考えると、我々がここにいること自体が自然の摂理の結果なので

伊島 ありがとうございます。真面目に考えましょう。ちなみにご家族は現在の活動をご存知なんですか?

正輝 母親を7年前に亡くしてるんです。62か63歳くらいの時にガンで亡くなりました。それがきっかけで自分がゲイであることもドラァグクイーンであることも家族に伝えたというか、バレてしまったみたいなところがあって。母親には結局カミングアウトしないまま逝ってしまったんですが。

伊島 お母さまはまったく知らなかったんですか?

正輝 絶対気がついていたと思います。テレビや音楽や女優の好みにしても、引っかかるものが20代の一般の男性が抱くものではなかったし、「ちょっとお母さん、これ見て」って言っては、ちあきなおみさんや美輪明宏さんの映像を見せるとかばかりだったんで、母親は絶対に気づいていたと思っています。その母親が亡くなる一、二ヵ月前くらいに、先ほどお話しした自分がすっぴんで二人で歌っている「ふたりのビッグショー」っていうデュオのリサイタルを、地元のグリーンホールの大ホールを借りて母親だけを観客に開催したんですよ。

伊島 観客がお母さまおひとりって、すごいですね!

正輝 母親と家族達に向けて。ホールを借り切って母親に捧げるリサイタルっていうのをやったらすごい喜んでくれました。そういうこともいろいろあったので、カミングアウト出来ず仕舞いで母親が逝ってしまったことにあまり罪悪感は抱いていません。自分が歌を好きなのも、母がずっと歌を歌っていたからだったりしたので、母からもらった芸で母に恩返しをしたし、いろいろな感覚を母と共有してきたつもりなので、母親に対しての罪悪感はあまりないんです。その流れで残った家族にもいろいろ伝えたんですが、父親はもしかしたら拒否反応とかあるかなと思っていたら、こちらが拍子抜けするほどにストンと受け入れてくれました。兄貴よりも父親の方が理解が早かったりしたので、子供が思うよりも親は開けた考えを持っていたんだなって知ることが出来ました。

伊島 お父さまのお仕事はなんだったんですか?

正輝 ずっと生命保険だったんです。母親が亡くなってしばらくして再婚して、65歳にして第四子をこさえたので自分には33歳下の腹違いの弟がいるんです。その子もとっても可愛くて。実は我が家で一番“ロック”なのは父親じゃないかなって思ったり(笑)いま父親は海外に住んでいるので、年に1、2回くらいしか会わないですけど。

伊島 ご兄弟は?

正輝 兄が二人います。

伊島 3人目の末っ子にその下が産まれたんだ。

正輝 そうなんです。しかも全員男なんです。

伊島 他にゲイの人はいないんですか?

正輝 いないですね。上の二人はもう結婚してますし。

伊島 お父さまの家系とかにも?

正輝 いないと思います。

伊島 そういうのって、どういうところからそうなるんでしょうね?

正輝 こればっかりはわからないんですよね。後天的なものかもって説もあるし、先天的だとか遺伝子がどうのとかっていう説もあるし、どういう経緯でゲイが産まれる、レズビアンが産まれる、トランスジェンダーが産まれるって解析されてなかったりする。でも、これってあんまり解明され過ぎちゃうと、妊娠時に遺伝子操作されちゃったりするのも嫌だなって思いますし。こういうゲイとかLGBTの話をすると、しばしば「自然の摂理に反する!」というような説を唱える方がいらっしゃるんですけど、本当に自然の摂理で考えると、我々がここにいること自体が自然の摂理の結果なので、反するもなにもないというか。

ドラァグクイーンになってる方はみんな目立ちたがり屋ですね(笑)

伊島 ドラァグクイーンをやっている人というのは、正輝さんと同じように単純に女装がしたいっていうよりなにかエンターテイメント的な才能というのか、そういう表現が好きな人がなるんでしょうか?

正輝 そうだと思います。ドラァグクイーンでも自分みたいにガツンってメイクをする人もいれば、たおやかでおとなし目のメイクをされたり衣装を着られる方もいます。でも共通して言えるのは、ドラァグクイーンになってる方はみんな目立ちたがり屋ですね(笑)

伊島 目立ちたがり屋なわけだ(笑)

正輝 純粋に女装が好きなだけだったら趣味でフワッとすることもできますが、ドラァグクイーンを名乗ってステージに上がるってことは、目立ちたがり屋でエンターテインメントが好きなんだと思います。

伊島 ゲイではないドラァグクイーンの人とかもいるんですか?

正輝 女性のドラァグクイーンも何人かいらっしゃるし、あとストレートのドラァグクイーンもホントに少ないけどいらっしゃって、ただ圧倒的に男性として男性が好きなゲイの方が多いですね。

伊島 さっきクラブに連れて行かれたらイイ男だらけだったって言ってましたけど、それは何人くらい集まっていたんですか?

正輝 当時新宿のコードとかリキッドルームっていうクラブだったので、たぶん千人とか二千人くらいいたと思います。

伊島 全員ゲイ?

正輝 ほぼ全員ゲイ。ドラァグクイーンとかマッチョな筋肉で踊るゴーゴー・ボーイさんとかいろいろな人がいて、ゲイってこんなに煌びやかで楽しそうな世界なんだって、ゲイでよかったって今のところは思えています。

伊島 それが大学生の時でしたっけ?

正輝 大学一年くらいですね。二丁目に行ったらみんな楽しくて芸達者で、大学に全然行かなくなっちゃって。卒業に必要な単位が140いくつだったんですけど、5年かけて取った単位が40いくつで、そこで見切りをつけて勝手に辞めました。通っていたのは早稲田大学なんですけど、早稲田ってほんとうに簡単に辞められるんですよ。学部棟の一階の事務所に書類を1枚出したら「はい。じゃあもう退学です」って。ほんとうに簡単に辞められました。

伊島 学部はなんだったんですか?

正輝 法学部です。

伊島 法律の仕事に就こうと思ってたんですか?

正輝 まったく全然。受験して合格した中で当時偏差値が一番高かったのが早稲田の法学部だったので、特になんの感慨もなく行っていました。だからダメだったんだと思うんです。特にやりたくもない法律の勉強するのがほんとうに苦痛だったので。

伊島 そろそろ写真を撮らせていただこうと思うんですが。普段の状態で写真を撮られることもありますか?

正輝 普段の状態ではあんまりないですね。ドラァグクイーンで撮っていただくことは多いんですけど。でもこちらのテンションは変わらなくて、そちらからだといろいろは違うんでしょうけど。でもすっぴんの方が誤魔化しにくいので、何卒強めのレタッチを!(笑)

伊島 わかりました。今日はありがとうございます。

正輝 こちらこそ、ありがとうございました。

「月夜のからくりハウス」より

 

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