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0020 Anna Choi

Anna Choiそして高山杏奈。同じ一人の人間でありながら複数の名前を縦横無尽に行き来する、在日韓国人にしてファッションに関してはグローバルな教育を受け、現在、日本でめざましい活躍を始めているファッションデザイナー。エネルギッシュでありながら繊細な心を持つ彼女のクリエーションの源が一体どこから生まれているのか。その辺りを探ってみた。

伊島薫

海外で世界一のファッションスクールに行こうと思ったんです

伊島 まず名前について教えてもらえますか。ネットで見ると「Anna Choi=アンナ・チョイ」というのと「高山杏奈=タカヤマ・アンナ」という二つの名前が出てくるんですが。

Anna もともと日本の通称名が高山杏奈なんです。韓国籍なのでパスポートとかの名前は「崔杏奈」で登録されていて、日本語読みだと「サイ・アンナ」なんですけど、韓国語読みにすると「チェ・ヘンネ=Choi Haengnae」。またここでひとつややこしいのが、漢字をそのまま発音すると「ヘンナ」のはずだったのを、母が名前を登録する時にスペルを間違えて、最後にeを付けちゃったんです。それで、パスポートの英語表記は「Haengnae Choi」。ヘンナのはずがヘンネになったので、韓国人にも読めない韓国にはない名前になってしまって。でも、今更名前を変えるのもな、と思い、そのままにしていたら、唯一無二の名前にはなりました(笑)でも、アメリカに行ったら誰も読めないから「アンナって呼んで」って私の方から言って、それ以来、アメリカではAnna Choiになったんです。

伊島 生まれ育ったのは日本なの?

Anna そうです。福井県の敦賀市です。お魚の美味しいところです。母はそこの生まれで、育ったのはずっと神戸市です。父が神戸なんです。

伊島 お二人はどうやって知り合ったの?

Anna 韓国人同士で結婚しなきゃいけないっていうのが当時はあったみたいで、お見合いで結婚しました。

伊島 お父さんが神戸の人で、お母さんが敦賀の人なわけだけど、2人とも韓国人ということですね。

Anna そうです。二人とも在日韓国人の二世です。出産の時だけ敦賀に里帰りして、出産して落ち着いたらそのまま神戸に。そこからはずっと神戸で、でも神戸の震災の時は、2年くらい福井の敦賀の幼稚園に通ってたりしました。ちょうど震源地に近い所に住んでいて、私たちの住んでたマンションは大丈夫だったんですけど、周りが崩壊していて生活できる状況じゃなかったので。当時2歳くらいであんまり記憶にないんですが。

伊島 神戸で育ったということは、学校は朝鮮学校か韓国学校とか?

Anna いや、神戸は朝鮮学校とか韓国学校も多かったので、そこに通うこともできたんですけど、朝鮮学校になると韓国語ではなく朝鮮語を学ぶことになってしまうから、ちょっとまたニュアンスが変わってくるというか。制服がチマチョゴリってこともあって。昔、それで差別されたりいじめられたりっていうのが祖母の代では印象が強くて。両親とも日本の学校に行っていたので、兄弟と一緒に日本の学校に行きました。

伊島 小中高は神戸でその後は?

Anna 大学もそのまま神戸の大学に入学しました。本当は高校の時に美術の勉強がしたいな、アートを学びたいな、美大に行きたいなって考えてたんですけど、高校からそのまま大学に上がれる学校だったので、勉強して受験して美大に行っても私になにができるかなと思い、そのまま何も考えずに普通の大学に上がりました。そこから2年間、一般の大学生をしてみて、本当にこのままでいいんだろうか。あと2年間大学に通って卒業して、どういう職に就くんだろうかって…

伊島 悩んだんだ。

Anna はい。大学はデッサンとかもたまにあるアート系で、取りたい授業もあったんですが、卒業してもなにをしていいかわからないし……。どうしようって思い始めたんですね。このままやりたいことができないのも嫌だなって思った時に、ずっと好きだったファッションデザイナーってどうなんだろうと。それがどんな仕事かもわからなかったけど、好きな絵が描けて、好きな洋服に携われて、洋服が作れる、そんな勉強ができる専門学校に行きたいと思ったんです。「せっかく大学入れたのに、どうしてそんなこと言うの?」って先生たちには反対され、両親にも同じことを言われたんですけど、日本の専門学校がダメなら海外で世界一のファッションスクールに行けば納得してもらえるのではと思ったんですね。

伊島 それがパーソンズ?

Anna はい。ニューヨークのパーソンズとかFITとか、ロンドンのセントラル・セントマーチンに行けば、誰もきっと文句を言わないんじゃないかと。19年間、これがしたいって言ったことなかったのに、19歳の時に初めて「海外に行ってファッションの勉強がしたい」って言ったんです。そしたら親に「初めて自分から何かしたいって言ったね」って言ってもらえて。「そこまで言うなら、自分で英語の勉強にどれくらいかかるか、海外の学校にどれくらいの費用がかかるか調べて、半年間試しに行ってみてなにも結果が出なかったら今の大学を卒業しなさい。」って言ってもらいました。両親とその話をして3か月後にはニューヨークに単身飛んでました(笑)

伊島 最初は語学学校に行ったの?

Anna 初めはニューヨークの語学学校に行きました。半年間、語学学校で勉強しながら、次のアートスクールとかFITとかに入りたいって思ったんですが、すぐに入れる語学力もないし、アメリカの学校ってある程度スキルが身についていて、すぐにポートフォリオが提出できるって人じゃないと入学できなくて。「ポートフォリオってなに? ミシンならちょっと踏めるけど……」くらいの感じだったので、それじゃマズいと思って。語学もアートも勉強できる付属の学校に入学して、午前は語学の勉強して、午後はアートの勉強っていうのを、半年から一年くらいやってました。しんどいと思う時もありましたが、自分からやりたいって言ったし、走り出してるからっていうので、責任感に駆られてたというのはあります。

「これじゃ自分で服作れへんやん」って気づいたんです。

伊島 そこからどうしたの?

Anna 一年間ニューヨークに住みながら技術を学んで、ドレーピングをしたり、縫製をしてみたり、自分で作るプロセスをポートフォリオにしてみたりという、いろんなことを経験して初めて、アメリカの授業って実際には自分で服を縫わないんだってことに気がついたんです。その時まで、自分でもデザイナー職がなにかわかっていなかったんですけど、デザイナー職って、デザイン画を描いてパタンナーさんに渡して、パタンナーさんがそのパターンをひいてくれて、縫製さんが縫ってくれて形になる、っていうのがデザイナーの仕事なんだってことがわかった時に「これじゃ自分で服作れへんやん」って気づいたんです。

伊島 そのタイミングでね(笑)

Anna そう(笑)学校行ってもプロセスやデベロップメントのアウトプットの仕方はしっかり身に着くけど、実際に自分で服を縫えるデザイナーにはなれないんだって気がついて。そこからまたリサーチをはじめて、世界中で服が縫える学校なら国なんてどこでもいいから、ニューヨークでもイギリスでもパリでも、行けばなんとかなるって気持ちは身についていたので、とりあえずそのスキルが学べるところはどこなんだろうって調べてみたら、おやおや、これは文化服装が強いのではないか、となって。それまで、東京に一度も住んだことがなかったんですけど、日本のファッション見るのも面白いかもと思ったのと、実際にお洋服が縫えるスキルとかパターンをひくスキルが身に付けられればもっと強くなれる、自分のやりたいことの幅が広がる気がして、その年の春から文化服装に入学しました。アパレルデザイン科っていう3年のコースなんですけど、その時22歳で、卒業すると25歳っていうことは、みんな社会人になる年齢だけど、自分はまだお金を稼げるようにもなってないのに、こんなに長く学生を続けていて大丈夫なんだろうか、ホントにいいんだろうかと思いながらも「いつかはきっと花が咲くんだ!」という思いで文化に入学しました。

伊島 それまでアメリカの学校に行ってた時のお金は親に出してもらってたの?

Anna ニューヨーク時代はそうです。アメリカの大学ってすごく高くて、でも文化服装は日本だし、アルバイトもできるし、学費以外の部分とかが賄えるなと思って文化を選んだというのもあります。

伊島 文化では自分でデザインして自分で縫うというのをやってたの?

Anna そうですね。パターンひくとか縫製とかもそうなんですけど、自分の手でデザインを形にする。縫製した後どういう風に人から見られたいかっていうところまで学びました。それをやりながらなんとなく、自分の中に焦りがあって。まだなににもなれてない、けど年数だけは過ぎていく。ある程度アメリカでの経験があるから学校の中では「できるよね」ってポジションにはなるけど、でも実際、自分ではそうは思えなくて。デザインって趣味嗜好の問題で好きな人は好きだし嫌いな人は嫌い。でも実際仕事になるとそういうわけにはいかなくて。欲しいと思えるデザイン、素敵って思ってもらえる人が多ければ多いほど、作り手としても嬉しいと思うので、それをコンペアできる場所ってないかなって思い始めたのが文化の2年目くらいで、日本国内や国外のコンテストに参加するようになっていきました。

伊島 その後、イギリスの学校に行ったっていうのは、賞を取って奨学金をもらったんでしたっけ?

Anna そうです。文化服装3年目の時、日本の神戸ファッションコンテストっていうコンテストで、神戸市の神戸ファッション協会が主催なんですけど、パリの学校2つとイタリアとイギリスの学校の計4校の先生たちが日本に集まって、神戸のファッション美術館とかがあるポートアイランドの中で2日間、展示とショーの審査をします。そして、各校の先生たちが、それぞれ選んだ作品の生徒にオファーして自分の学校に連れて帰る。それに出そうと思ったのも、20歳から4年間くらい洋服作りをしてるけど、それを祖母や両親は見たことがないので、神戸でショーができれば、みんな見に来れるかなって思ったんです。賞を取れるとは夢にも思ってなくて、ただ自分の作りたいものを作りました。それをイギリスのノッティンガム・トレント大学の先生に選んでくださり、卒業コレクションを作って発表できるっていう機会をいただいて、1年間、渡英することになりました。

伊島 ニューヨークから日本に戻ったと思ったら、今度はイギリスだ。

Anna いろいろありましたけど、イギリスです。イギリスの学校で制作するものは、前もってこういう形にしようって決めて、日本から生地とかミシンとか一式送って、ノッティンガムに行ったんですが、土地の環境とか国の価値観で求められるデザインが違うし、学校によって教え方も全然違うことに気づいたんです。日本では人の個性を潰すことはしないし、表現したいものを作る手伝いをするって感じだけど、イギリスだと「そんなのセンスないから止めなさい」とか、普通に言われる。「ガチャガチャさせないで」「ダサい」「Less is more」「全部やり直して」みたいに、ハッキリ言うんです。最初は「学生の個性を潰すようなことを言うなんて、どうしてみんなの創作意欲を抑制するんだろう」って思ったんですけど、今まで経験したことのない抑圧や制限によって、もっとここよくできるんじゃないかって、新しい扉がどんどん開いて行って。実際形になっていくにつれて新しい感覚が生まれてきて、そこに至るまではすごく苦しんだけど、いい経験だったなと感じるようになりました。

伊島 どのタイミングでそういう風に切り替わったのかな。

Anna 最後の最後まで切り替わらなかったです。ずっとシクシク泣きながらミシン踏んで「なにが正解なんだろう。誰に向けて創ればいいんだろう」って、なにが良いのかわからなくなってきて。

伊島 でも、今創っているものってどっちかっていうとアーティスティックじゃない? そこを潰されたわけじゃないんですね。

Anna そうですね。日本で作ってきた作品の産み出し方に慣れちゃってたところがあって、その慣れを排除されたって感じです。アイデンティティを拒否されたというより、慣れとか癖を外された。そこに最初は気が付かなかったんですけど、だからこそ自分でも見たことのないような作品が出てきたり、本当にいい経験でした。

伊島 そこを通ってきたことが今に活かされてる。ラッキーですね。

Anna 本当にありがたい経験でした。

自分が大事だと思ってる人たちに関わってもらいたいなっていう思いで、

ファーストコレクションはやってました

伊島 そこに一年いて、卒業制作をしてからは?

Anna 選ばれた人がロンドンでショーを出来るんですけど、そのショーの場にデザイナーを募集している会社の人たちが、ハンティングみたいな感じで見に来るんです。その場で声をかけられて面接という感じで、私もありがたいことにお誘いがあって、海外での活動を視野に入れていました。日本に帰国して、そのブランドとコンタクトを取りながら、どこに行くか決めて、年明けくらいに渡航できればと思って準備をしていたら、コロナでロックダウンになって「ヤバイ。どうしよう?」って思いつつ、でも日々は過ぎていくので、ロックダウン中の半年間はフリーランスのデザイナーをしながら神戸の実家で過ごしていました。だけど、コロナは続くし、新しくなにか始めなきゃと思って、海外に行くという選択肢を一旦捨てて東京に出てきました。

伊島 東京ではなにから始めたの?

Anna どうしようと思ってた時、文化にいた頃に内定が決まっていた会社の人から連絡が来て、その方が今は新人デザイナーや新ブランドに投資する会社で働いているとのことで、「私は今こういうことがやりたいと考えています」っていうお話をしたら「一緒にやろう!」となり、そこから半年間でコレクションの準備をして、2021年の夏に無事ローンチしました。

伊島 コロナの間にその話が持ち上がって、プレゼンテーションして準備して、去年の夏にローンチしたってことですね。

Anna 2021年3月からスタート、8月にローンチです。

伊島 ブランド名は、Anna Choi(アンナ・チョイ)がオートクチュールで、Haengnae(ヘンネ)がプレタポルテということですね。

Anna 「ヘンネ」って名前にしたのは、一番使ってこなかった韓国の名前だったから。海外では「アンナチョイ」って呼ばれ、日本にいる時は「タカヤマアンナ」って呼ばれる。「ヘンネ」だけが取り残された名前でした。日本に帰って来た時、ヘンネってあまりにも誰にも呼ばれないから改名してヘンネを消そうと思っていました。でも、プレタポルテを立ち上げるとなった時に、日常的にみんなが着れるお洋服って等身大の自分だなと思い、私にとっていちばん等身大の名前「ヘンネ」にしました。母のスペルミスから生まれた唯一無二の名前ですし。

伊島 なるほどね。ホントに唯一無二だから使わない手はないよね。でも読み方を言わないとなかなか読めないんじゃないですか?

Anna それは有名になっていけば、逆にみんなパッと見て「これはあのブランドのことだ」って浸透すると思うんです。誰もが一目でわかる様になったら他とも間違えないし。ロゴは妹が作ってくれたり、自分が大事だと思ってる人たちに関わってもらいたいなっていう思いで、ファーストコレクションはやってました。

自分が今、世界での評価基準に照らし合わせて

そのベル立てているか否かを知りたくて

伊島 ブランドを始めると大変だよね。コレクションを半年ごとのサイクルでずっとやるわけでしょ?

Anna もったいないと思うことが多いです。

伊島 もったいない?

Anna 短すぎませんか。

伊島 半年で50型やったら次にまた別の50型やらなければいけないわけだからね。確かにもったいないし、無駄を産んでる気がするよね。

Anna 創るエネルギーももったいないし、その半年が過ぎたら安売りされるじゃないですか。このシステムは絶対変えられるって思うんです。かと言って、一年でこの型しか作らないってしちゃうと売るのが難しいしビジネスとしてやっていけない。アパレルも今サスティナブルが一番大事って言うけど真逆。大量生産大量消費で無駄が多い気がします。

伊島 服に賞味期限はないはずなのに、結局売れ残った物は廃棄処分なったりするからね。かなり大量に廃棄されてるんでしょうね。

Anna どこを変えていけばいいのか、そもそも服だけの問題なのか、ずっと疑問に思ってるんです。そんなブランドにはしたくないので、洋服ひとつひとつにきちんと向き合ったデザインを心がけています。売れないものを作るのもエネルギーの無駄遣いだと思うので、単価が上がるのは覚悟の上で、いいモノを作ればそれが響く人に絶対届くという気持ちで作り、そのモノの良さをいかに伝えるかっていうことに注力してます。みんなに優しくって難しいことだなと思いながらも、アパレル業界のビジネスも視野に入れたデザイン力を伸ばすことにも力を入れています。

伊島 でも、すごいよね。昨年の夏にスタートしたばっかりなのに、これまでのプロセスに無駄がないし、みっちり詰まってるね。

Anna 韓国人の血がせっかちなのかもしれません。“パリパリ文化”っていうのがあって、“パリ”は韓国語で「早く」って意味なんですけど、なんでも早く早くって。逆に地道にコツコツが苦手かもしれないです。芯はブレないんですけど、その中での変化は楽しめるので、なんでも挑戦したいし、違うなって思ったら違うってハッキリしてるかも。

伊島 楽しみですね。デザインはオリジナリティあるし綺麗だし、これからの活躍を期待してます。次の目標は?

Anna 今はパリコレを目指しています。アパレルって、ファッションとは違って売り上げや数字で見るじゃないですか。もちろん、それも大切ですが、私の仕事は夢を創り魅せる仕事だと思ってるんです。グローバルな舞台に立った時「きちんと本質を捉えて表現しているファッションブランドだよね」と思ってもらいたい。自分が今、世界での評価基準に照らし合わせてそのレベルに立てているか否かを知りたくて、出して満足というよりは、そこで評価を受けて、それをテコにブラッシュアップしていきたい。昔も今も、変わらず次のステップを目指しています。

伊島 すごいね。パリコレの道も早いはず。

Anna “パリパリ”で行きます!

伊島 あなたの勢いなら大丈夫でしょう。

92歳でめっちゃ元気で、

昼はカラオケ行って歌って、夜はお酒飲んでっていうのを今でもしてます。

伊島 ところで、アンナさんは、どこかのタイミングで帰化しようとは思わなかったの?

Anna イギリスから帰ってきて、しばらくは海外に行けないからと思って、一度、聞きに行ったんです。そしたら帰化するのに二年くらいかかって、さらにその二年間はパスポートが持てない上にめちゃくちゃ膨大な書類が必要ですって言われて断念しました。

伊島 自分のアイデンティティとしてはどうなの?

Anna 難しいんですが、文化は韓国だけど教育は日本。食べ物はお母さんがよく作ってくれてた料理は韓国料理だったし、特に母方の祖父は韓国から来てるので日本語が母国語ではなく。

伊島 おじいさんも日本に住んでるの?

Anna 日本に住んでます。

伊島 おじいさんが一世?

Anna 南北戦争の時に日本に密輸船で渡って来たと聞いてます。

伊島 南北戦争って日本で言うところの朝鮮戦争だ。

Anna 北朝鮮と韓国が別れるくらいの時で「どっちでもないし、どっちって言っても殺されるからもう逃げるしかない」ってなって、船に乗って逃げて来たと聞きました。祖父はその時、もう結婚して奥さんも子どももいたんだけど、その家族を残しておじいちゃんだけが逃げて来たんです。それで、帰れないまま日本で私の祖母と知り合って結婚したから、二つ家庭がある。でも、連絡が取れるようになって、みんなの安否が確認できるようになってからは、祖父が日本で建築業の会社をして、韓国の奥さんとか子どもたちも養ってる。祖父は立派で、祖母もそれをサポートしてる。言葉も話せなかったのに、日本でイチから自営業を始めるって、すごいなって思ってます。

伊島 今、おじいさんはおいくつ?

Anna 92歳でめっちゃ元気で、昼はカラオケ行って歌って、夜はお酒飲んでっていうのを今でもしてます。

伊島 アンナさんの普段の生活についても少し話してもらえますか。

Anna 今は新しいパートナーができて、彼と猫と一緒に暮らしてます。昨年の3月のブランドローンチが決まるまでは自分が不安定だったし、プライベートがあるような、ないような、仕事というか、仕事だと思うのも嫌なくらい日常的に制作していたので、安定してないのに恋愛とかプライベートができてしまうと、不安定になってそっちに甘えてしまいそうで。だから、ブランドのローンチが始まるまでは、誰といい関係になってもその先はないし、甘えたくないなって思っていました。でも、ローンチも終わって、これからはプライベートも充実できるかもって。これからの課題は仕事とプライベートの両立だなと思って、今一緒に住んでます。

伊島 めちゃくちゃ計画的ですね。

Anna 練習してます(笑)けっこう難しいって思うことも多々ありますが。

伊島 こうしようって思ったからってできることじゃないですよね。

Anna 難しいですね。でも仕事に対して理解のある人なので、そこは問題ないんですけど、私が勝手に人に気を遣いすぎてしまうとういうか。一緒に住んでるだけでエネルギーを使ってしまうんですね。1人だったらこのエネルギーを100%制作に打ち込めるのに、30%残しくらいでウチに帰ってるなと。エネルギー配分を練習しています。

伊島 家用に30%自分用に70%ってこと?

Anna そうなんですけど、そうなってるのが嫌なんですよ。100%自分に注ぎたい。でも、そういう訳にはいかないじゃないですか、人と付き合うって。だから、130%にキャパを広げれば100%使えるので、そのエネルギーを広げ中です。

伊島 それはすごいな(笑)

Anna できるところまでやってみようと思って生活しています。

伊島 インタビューした人に、自分がミックスジュースを作るとしたら、どういう内容にしたいかってのを聞いてるんですけど…

Anna めっちゃ悩みますね。それは理由付けも?

伊島 それはどちらでも。自分が飲みたいと思うものでいいですよ。

Anna 納豆とかネバネバのもの混ぜたいな。

伊島 納豆? 納豆は初めて出たな(笑)。

Anna 飲みたいというか見てみたい。納豆にオクラとか山芋とかネバネバ系のものたちを混ぜて。でもそれって和食かな。

伊島 ジュースというかスープだね。それはそれでいい気もするけどね。

Anna ジュースにするとすごくありきたりじゃないですか。

伊島 アーティストですねぇ。納豆、オクラ、山芋。あとはモロヘイヤとか?

Anna モロヘイヤいいですね。最近ちょっとモロヘイヤにハマってて。ネバネバ全部混ぜたらどれくらいネバネバになるのか見てみたい。

伊島 でもジュースにするならなにか液体が必要だよね。

Anna 入れたくないな。どこまで粘りがあって、飲んだ時にどの味が強いかが気になる。逆さにしても落ちてこないって可能性もあるけど、それも見てみたい。

伊島 めっちゃアーティスティックやね(笑)

Anna 実験ですよ。

伊島 それはそれで作り甲斐がありそう。

Anna 粘りすぎて落ちてこないが一番理想です。あと、どこまででミックスが止まるか(笑)

伊島 やってみますよ(笑)。

Anna お願いします!

 

 

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