0018_21_03_07_岩本鐘明 Iwamoto Kaneaki

0018岩本鐘明 

在日韓国・朝鮮人の二世として大阪に生まれ大阪で暮らして来た三児の父。日韓併合時代に朝鮮半島から日本に渡って来たご両親の思い出話からはじまり、いわゆる「在日」と呼ばれている人たちの素顔について、関西弁でたっぷりと話を聞かせていただいた。

ビシッとしたスーツに身を包みインタビューの臨んでくれた、韓国籍の大阪府民で日本国民を標榜する大阪のおっちゃん。

伊島薫

そこにいても食うや食わずだったんで出て来たんだと思います

伊島 最近では「純ジャパ」なんていう言葉をよく耳にしたり、日本は日本人の国みたいに思っている人が多いですが、じつはいろんな国とか民族とか文化とかが混じりあっていて、それが今どんどん加速してると思うんですね。それをいろんな人のインタビューを通して、みんなに知ってもらおうという趣旨の雑誌なんです。

じつは僕も親父は台湾の人なんです。大正10年生まれで、日本の統治時代に台湾で生まれ育って、今でいう大学から京都に来ていて、戦争が終わって返還されましたけど、親父はそのまま日本に残って結婚して京都で亡くなったんです。

岩本 お母様は日本の方?

伊島 はい、そうです。そんな生い立ちでありながら、在日って言葉はよく聞くけど『在日』っていったいなんなのって。じつは僕もよくわかっていなかったり、世間の人もきちんと理解はしていないんじゃないかって思うところもありまして。

岩本 たぶん知らないでしょうね。ほとんどの方は。

伊島 そのあたりを僕も知りたいっていうのがあるし、お聞きしたら歳が僕とほぼ同じだという。

岩本 1955年です。

伊島 僕は1954年なんです。そうするとお父さんが韓国か朝鮮の方で、やはり日本の統治時代に日本にいらっしゃって、岩本さんも日本で生まれて、っていうことですよね。

岩本 そうです。よく似てると思います。先ほどお父さまは大正10年っておっしゃてましたよね。うちの父親は大正9年なのでそれもほぼ近いですね。

伊島 近いですね。

岩本 日韓併合が1910年だったと思います。親父は9人兄弟の8番目で、9歳の時に日本に渡って来ました。やっぱり日本でって思ったんでしょうね。

伊島 9歳の時ってことは、お父さんはご両親と一緒に日本に来られたといいうことですか。

岩本 そうではなくて、友達というか数人の仲間で渡ってきました。

伊島 若者だけで?

岩本 そういうふうに聞いてます。たぶんその上に年長者がいたんだと思います。田舎が慶州っていうところなんですけど、なにぶん9人兄弟の8番目でしょ。そこにいても食うや食わずだったんで出て来たんだと思います。

伊島 なるほど。家族とじゃなくて仲間と一緒に日本に行こうっていって出て来られたんですね。それで出て来てからはどうされていたんですか?

岩本 いろいろ聞いてますけど、そういう子どもですから、働かせてくれる所だったらどこでもええって言って。ぼんさんみたいなことしていたと聞いてます。

伊島 お坊さん?

岩本 関西で言うところの「ぼんさん」。つまり下働きみたいなことですね。

伊島 なるほど。

女の人の草履やサンダルのことをヘップって言うんです

岩本 そんなまぁいろんなことして成人して。ボクが1955年に生まれた時には、いわゆる長屋住まいでした。そこはよく覚えていて、その十軒長屋の7軒くらいが在日韓国人の方で、あとの3軒は日本の方だったと思いますけど、長屋なんで楽しくやってたっていう記憶が今でも残ってます。で、その頃、親父はスクラップ屋を始めたんです。在日あるあるで、スクラップ屋やるか焼肉屋やるかパチンコ屋やるか。後はヘップ屋さんですかね。

伊島 ヘップ屋?

岩本 女の人の草履やサンダルのことをヘップって言うんです。大阪では生野区、兵庫県でいうと長田の辺りが在日のヘップ屋さんが多かったんです。それくらいしか仕事がなかったんで、たぶん誰かがやっていて、それを真似してやるという流れですね。

伊島 で、お父さんはその頃スクラップ屋をやっていたということですね。

岩本 そうですね。

伊島 お母さんはどちらの方なんですか?

岩本 母親は同じように4歳くらいの時に母親とお兄ちゃんと3人でこちらの方に渡ってきたって聞いてます。

伊島 それでこちらで知り合った?

岩本 そうですね。母親は15、6歳くらいの頃からハンカチ工場なんかで働きはじめて。この子(母親)はもう独り立ちできるし、そろそろ結婚かなっていうことで、母親とお兄ちゃんが一度国に帰ってたんですけど、母親が日本に戻って来たタイミングで父親と知り合って結婚しました。

伊島 お母さんはかなり若い時に結婚されたんですね。

岩本 1927年ですね。長女が1948年ですから 二十歳くらいで結婚してますね。

伊島 そうなんですね。そうするとお父さんお母さんは韓国の方で、お二人とも日本に住んでらっしゃって、そこで長女が生まれて、その後が岩本さんですか?

岩本 いえ。長女、次女、長男、私、そして三女の5人ですね。

伊島 世間でいうところの、いわゆる在日二世っていうことになるわけですね。

岩本 そうです。

伊島 そのあたりの話から、ちょっと在日の話を聞かせてもらいたいなと思うんですが、僕もぜんぜん詳しくなくて、在日の方っていうのは、国籍は今も韓国とか北朝鮮にあるわけですか?

意地でも日本国籍は取得したくない

岩本 はっきり言うと北朝鮮のことはあんまりわからないんです。それでも友達はいるので聞いてみると、北朝鮮を支持していても籍は韓国籍っていうのが多いっていう話です。普通に韓国を旅行するっていうのも聞いていて、案外北朝鮮出身の人でも籍を北朝鮮に置いている人は少ないんです。

伊島 それは日本に住んでる方で?

岩本 もちろん。あくまで在日の話です。

伊島 パスポートは?

岩本 韓国です。

伊島 韓国籍は日本に居ながらにして取れるんですか?

岩本 どっちを取るのか、それは本人の希望次第だと思います。

伊島 それはお父さんなりお母さんの出自が韓国だったり北朝鮮だったりすれば、韓国大使館に行って申請すれば取れるということですか?

岩本 たぶんそうだと思います。いわゆる大使館、領事館に行かなくても在日韓国人朝鮮人の場合は窓口がありますから。朝鮮総連ってお聞きになったことがあると思いますけど、あと大韓民国には民団という窓口がありますから、そこに行けばいいということです。

伊島 なるほど。で、次に大きな疑問は、うちの親父なんかも戦争終わっても日本に残ることを決めて、その後結婚する時に僕の母親の遠い親戚の家に養子縁組する形で、いわゆる日本国籍になったんですね。親父もそのあたりに後ろめたい気持ちがあったのか、自分が台湾の出身だっていうことをずっと隠していたんです。僕が高校生の時になってはじめて聞かされました。

岩本 ああ、隠してたって気持ちはよくわかります。

伊島 だから僕自身まったく日本人だと思って育ったし、僕は今でも台湾人というような意識がまったくないわけなんです。だけど在日の方っていうのは二世でも三世でもやっぱり韓国籍を引き継いで、韓国籍だということに誇りを持ち続けている人が多い気がするんですけど、それは自分の意思でそうしてらっしゃるんですよね。僕もそうなんですが、ほぼ完全に日本の文化で育つわけじゃないですか。それでも韓国籍を維持するってことは、日本の統治時代への悪い思い出からなのか、それともよっぽど日本人になんかなりたくないっていう強い思いがあるんでしょうか?

岩本 それは二世と三世でもまったく違います。一世はわかる。一世はその通りだと思います。ただ僕らは親父やお袋から苦労話を聞いていたんでね、意地でも日本国籍は取得したくない。けど子供達はもうそんなことどうでもいいんですよ。

伊島 それはつまり、自分の意思でどうにでもなるということですね。

岩本 なりますね。

普通に日本の学校行って韓国に愛着もない人達ならそんなもんです(笑)

伊島 韓国籍にしてるのは、自分なりの意味というか意思があるわけですね。

岩本 僕の両親は僕達を民族学校、韓国学校っていう所に入れてくれたんですね。つまり、日本の普通の小学校行ってる子とは違うんですよ。民族教育っていって、ものすごく洗脳されたというわけではないけど、ただ韓国の歴史や文化や言語を学んだ経験があるので。だからその違いだと思います。家内も在日の三世なんですが、普通の日本の学校に行ってたので、やっぱり僕とはぜんぜん思いが違います。ただ夫婦になって38年過ごしてると、だんだん気持ちをわかってくれて。それでも僕ほどバリバリではないですね。

伊島 なるほど。

岩本 韓国系の信用組合ってのがあって、昔は大阪コウリン、関西コウリン、今は名前を変えて近畿産業信用組合っていう、いわゆる在日のメインバンクみたいなのがあるんですよ。若手経営者が集まる青年会みたいなのもあって、今だに30人くらいのグループで会議したり旅行したりゴルフしたり。その30人はみなさん元韓国籍なんですけど、今はもうほとんどが帰化されてますね。僕ぐらいですね韓国籍を維持してるのは。みなさん会社を経営されたり、お店を持たれたりしてるんですけど、僕のことを「岩本君はバリバリやね」っていいますね(笑)。僕はそんな気は無くて、ごく自然に生きて来ただけなんですけどね。その中で3つ4つ上の、もう70歳の先輩が、2002年に日韓のサッカーの試合があった時に質問するんですよ。「岩本君はどこ応援してるの?」って。「そんなもん韓国に決まってるやろ。その次は北朝鮮ですよ。韓国も北朝鮮も絡んでなかったら日本を応援します。」って言ったら「オマエは変わっとるな。」って言われました。「先輩はどこ応援してはりますの?」って聞いたら、「オレは日本や!」って。普通に日本の学校行って韓国に愛着もない人達ならそんなもんです(笑)。

伊島 岩本さんの本名は?

岩本 本名は李(イ)です。

でも帰ったら今度はお袋に「どんな女やった?」って聞かれたり

伊島 お仕事は?

岩本 パチンコ店をやってたんですけど、今は処分して無職です。親父がスクラップ屋をしながら住んでた所が布施って街で、ここも生野区と並んで在日の多い街なんですけど。同じ故郷の人間というのは同じ慶州出身ってなったらすごく固まるんですよ。そしたら後は兄さん、姉さん、弟の世界になるんです。トンセン(韓国語:弟・妹)なんですよ。そうすると商店街でパチンコ屋してた先輩が「今里に土地があるから岩本君そこでパチンコ屋でもしてみないか。」っていう縁です。じつは親父はどんぶり勘定だったんで、経営といってもスクラップ屋はできてもパチンコ屋は上手に出来なかったんです。はっきり言えばマネージャーに食われてたというのが実情だったんですが、マネージャーにお店を貸して、僕と三つ違いの兄が22才になった時に店を返してもらうっていう約束をしてたんですよ。契約どおり店が返って来たんで兄が経営に乗り出したら、パチンコブームとバブルが重なって儲かったんです。お兄ちゃんに遅れること2年くらいでパチンコ屋の店番に入ったんですけど、その頃はパチンコ屋が儲かってたんで、なかなかセンスあるんかなって思ってたけど、センスはなかったですね(笑)。今はブームも去ってしまって、やるだけ赤字になるってことで10年前くらいに辞めて手を引きました。

伊島 10年くらい前に辞めちゃった?

岩本 それからは居酒屋をちょっとやってみたんですけど、あんまり才覚がないみたいです。他の仕事をやってみてわかりました。これ以上は子供に迷惑かかるなって。

伊島 最近は毎日なにを?

岩本 本読んだり、韓国語の勉強やり直したり、ジムに行ったり、仲間と飲んだり。毎日そんな生活してます。

伊島 まぁコロナでこんな状況ですから、ぴったりといえばぴったりですね。

岩本 今話してても、なんてつまらない人生なんだろうって思います。

伊島 そうですか?

岩本 なにが問題なんやろう。ただ長男のいる前で父親の悪口は言いたくないですけど、僕の父親は子煩悩で仕事はよくして、それなりに稼いでくれましたし、パチンコ店も僕らに任せて社長面してたんで、幸せな人やなと思ってたけど、なんせ女が好きなんですよ。子ども5人養いながらずっと近くのアパートに女を囲ってるような親父でした。小さい僕をそのアパートに連れて行くんですよ。そしたら向こうは「旦那の子供が来てくれはった。」って、鉄腕アトムのお茶碗とお箸を用意してくれるんですよ。でも帰ったら今度はお袋に「どんな女やった?」って聞かれたり。

伊島 なるほど。

岩本 あと、これも在日あるあるなんですけど、僕たちが小さい頃はまだまだ貧しい時代だったんで、だいたい日本で成功した在日は故郷に錦を飾りたいんですよ。それで故郷でなにかしら商売するんです。たとえば工場を経営してる人だったら、向こうにも工場を作りたいとか。こっちで商売が上手くいったら向こうで土地買って、親戚に商売させて、なんとか親戚一同楽させてやろうっていうのがあるんですけど、ほとんど食われるんですよ。僕の在日の友達は「アカン。もう親戚付き合いぜんぶ辞めた。」っていうのがほとんどです。親父が頑張ってお金作っても「また日本からお金くれる。」って甘い考えで食っていくって話なんです。向こうもけっして悪気はないんですけど、でもそれでたいがい潰れる。で、親戚付き合いも辞めてしまったというのがけっこう多い。うちも父親が向こうでリンゴ農園を始めたんです。それを甥っ子にやらせて、おかげでその甥っ子は慶州の農協の会長やってふんぞり返ってるわけです。そしたら親父はそこにも女をこしらえてて。

喋りついでですけど、たいがい日本の女も連れていくんですけど、ある日父親がお袋に「籍抜いてくれ」って言いだしたんです。籍抜いてその女と籍入れたら日本に簡単に連れて来れるからって。ひどい話でしょう?さすがにそれはお袋も許さへんと。ただ日本に自分が頼れる親戚、親兄弟がいないから、そんな悔しい思いを言える相手がいないんですよ。ただ、2番目の姉ちゃんの嫁ぎ先の両親夫婦とも仲良かったんで、お袋が「そこへ言いに行く!」って言ったら親父も少しは恥ずかしかったみたいで「それだけはやめてくれ!」って言って、なんとかとどまって。結局その女とは別れて、そのかわり女と別れた悔しまぎれにリンゴ農園を売ってしまった。そんなひどい話がいっぱいあるんですよ。リンゴ農園さえあれば甥っ子家族も悠々自適に暮らせるのに。梁石日(ヤン・ソギル)の『血と骨』っていう映画化もされた本がありましたけど、なにをしでかすかわからんような男、あれに近い父親でした。まぁ子煩悩ではありましたけどね(笑)。

伊島 北野武が出ていたやつですね。

岩本 あんな感じです。あの映画もひどかったけどね(笑)。

伊島 岩本さん自身はすごく真面目そうな感じですよね。

岩本 そういう親父を見てきたし、苦労もわかってますから。たとえば兄も僕もお見合いなんですよ。はなっから親父と同郷の娘をもらうつもりで。うちの家内も三世ですけど、こうこうこういう子で、同じ慶尚道(キョンサンド)の娘だって言ったら、もう喜んで喜んで(笑)。親孝行するために生きてきたような気がする。

伊島 そうですか。

やっぱり生まれた土地、日本は住みやすいです

岩本 ホントに言われたとおりに店継いで頑張って、結婚して。でもそれは親父も苦労もしてるからそれくらい喜ばしてやらないといけないなって思ってましたね。けっこう親孝行ですよね(笑)。それが普通だと思ってたんでね。まぁ、でもよくある話で、一世は死にもの狂いで働いて子供をとりあえず大学へ行かせる。これは絶対どの家も同じで、どこの大学でもいいんですよ。優劣とかは置いといて、学校へは行かせたい。本人たちが学歴ないものですから。それが三世くらいになると「医者もほしいな。」「弁護士もいてほしいな。」ってなるんですよ。お金が少し出来たら今度は人に尊敬される仕事が欲しくなるんでしょうね。

伊島 いま他のご兄弟はどうされてますか?

岩本 長女は今年の5月で72か73歳になって、今も元気で近くに住んでます。短大を卒業した時に、父親が変な虫がつくのを嫌って早々にお見合い結婚をさせて、でもうまく行かずに半年で帰ってきたんです。まぁ、その時の親父の怒りようは凄かったですよ(笑)。スクラップ屋なんで家にトラックが何台かあって、それで家財道具を積んで帰ってきたのはいいんですけど、ガレージでそれを突き落としてましたね。腹立って腹立って仕方なかったんでしょうね。無理矢理結婚させたということもあったけど、嫁に出したのに帰って来たっていうのが。姉はそれから水商売に入ってミナミで55歳までずっとママしてましたね。

伊島 次女の方は?

岩本 普通に短大を卒業してお勤めして、そのまま結婚した典型的な主婦です。長女も次女も同じ韓国の慶尚道出身の方とお見合い結婚しました。なんか日本でもどことどこは仲悪いってあるじゃないですか?それと同じでどうも慶尚南道(キョンサンナムド)は慶尚道のことを嫌うんですよ、なんかちょっとバカにして。たぶん昔の三国時代、新羅・百済・高句麗があった時代の因縁でなんかあるんでしょうね。うちの母親は慶尚道の生まれでしたので金大中が大統領になった時には喜んでましたね。出身が慶尚道の人だったんで。たぶん韓国で慶尚道出身の人はみんな喜んだんじゃないですかね。それまで慶尚道から大統領がいなかったんで。

伊島 なるほど。日本も昔は薩摩だの美濃だのいっぱい国があったわけですからね。

岩本 それが今はひとつの国になって。それと同じですよね。

伊島 岩本さんは二世なんで日本で生まれ育ってますけど、韓国で暮らそうとは思わなかったんですか?

岩本 向こうで生活していくのは難しいと思います。

伊島 それは言葉の問題?

岩本 いちおう読み書きと言葉は勉強したんでわかります。

伊島 それは学校で?

岩本 学校ではほとんど勉強出来なかったんですよ。普通の学校の英語の時間があるみたいに韓国語の時間があるだけで、だから英語が喋れないように韓国語も喋れないんです。それくらいの韓国語教育なんで。朝鮮学校はどうかわからないけど算数も社会も理科もみんな朝鮮語で授業するみたいだから、朝鮮学校の子どもは朝鮮語が出来ると思います。

伊島 朝鮮学校っていうのは北朝鮮の?韓国学校とは違うんですか?

岩本 別です。普通に算数、社会、理科があって、そこに韓国語の時間もあるって感じで。そんなにべらべら喋ることがないですね。

伊島 韓国で暮らせないっていうのは言葉以外にもなにかあるわけですか?

岩本 やっぱり生まれた土地、日本は住みやすいです。韓国は好きでよく行くけど、やっぱり旅行者ですよね。故郷には今もいとこや甥っ子がいるから、向こうも来るし僕らも行く。往き来はあるけど向こうでの生活は難しい。

伊島 だいたい日本でずっと暮らしてる在日の方は同じ感じですか?

岩本 そんな感じでしょうね。でも人それぞれあっていろいろですから、一緒くたには出来ないですね。

伊島 それはそうですよね。

気持ちがわかるのは三世代の間だけですね

伊島 今は、結婚相手は日本人が多いんでしょうか?

岩本 高校、大学の時に、韓国政府がお金を出してくれる二週間くらいの夏期学校、秋季学校っていうのがあって韓国に短期留学していたことがあったんです。その時の友達8人くらいのグループでもう40年くらい月イチくらいは会ってるんですが、その中で在日の女の子と結婚してる人と日本人と結婚してる人は半々ですね。その友人たちがいい友達なんで、僕の子供たちが高校、大学の時には「韓国に留学しなさい。楽しい体験出来るから。」って勧めたんですけど、行ったのは次男だけでしたね。

岩本 うちの子が幼稚園、学校に入る時は夫婦でやっぱり相談しましたね。家内は日本の学校しか経験ないし、僕は民族教育の良い面も経験してるけど、家計的にも楽だったんで「私立に行かせたい」ってことになって、子供たちは小学校から私立に行きました。教育なんて1回きりでどれが良かったかなんてわかりませんからね。

伊島 たしかに、それはそうですね。

岩本 ただ、やっぱり在日の人は祭事はきっちりやりますね。年に4回なんですけど、盆と正月とか、両親の法事みたいな時にはちゃんと料理をしつらえて。そういうことに小さいころから慣れてるから、なるほどこれが在日なんだな、韓国人なんだなって意識はあったと思います。

伊島 日本に帰化するのか韓国籍のままいるのか、どっちが良い悪いの話じゃないから決められないと思いますが、これから先、四世、五世と続いて行くわけですよね?

岩本 僕が思うのは、気持ちがわかるのは三世代の間だけですね。はっきり言って、うち子供達は僕ら父親、母親の気持ちはわかるけど、四世五世になったら曾おじいちゃんのことなんてわからないし、そこまで伝えてもどうかなって思うし。一応伝えますけど、まぁその時の自分達の生活、生き方があるでしょうから。

伊島 まあ、日本からアメリカやブラジルとか海外へ移住した人達の二世、三世も、僕らから見たらもう完全にアメリカ人だしブラジル人だったりしますからね。

19年間ほどは愚痴が言える楽しい時間を過ごしたんだと思います

伊島 岩本さんはお父さんも商売やっていて家庭的にも生活が苦しかったとか、しんどい思いとか経験なんかはなかったんですか?

岩本 親父の女癖と酒癖が悪い以外はぜんぜん余裕でしたね。ただ、8人の在日の友人といつも話すのは、やっぱり母親に手を上げるってことなんですよ。酒飲むとなにが気に入らないのか、子供のころは、3、4ヶ月に1回は、親父がお袋に手を上げるのを定期的に見てたんですよ。なにが気に入らんのでしょうね。手を上げるのを見るのが小さい頃はホンマに辛かったですね。

伊島 他の在日の友達のところも?

岩本 みんな似たり寄ったりのことを言います。ただ1人だけ「うちの親父は紳士やで。」っていう友達もいる。でも他はみんな手を上げてるって言ってますね。

伊島 なんなんでしょうね、その共通点は?二世の人にはそんなことはない?

岩本 ないですよ。

伊島 やっぱり日本に出てきたころの苦労とかが関係してるんでしょうか?

岩本 たぶんそうだと思います。ホントにそれさえなかったら良い親父です。

伊島 在日であることで、社会での差別はなかったんですか?

岩本 うちの親父が民族学校に入れてくれていたし、継がないといけないお店もありましたから。もし就職活動していたら差別を目の当たりにしてたと思います。うちの子供たちは、学費の高い私立の小中高校に行かせて、PTAの副会長にもなって。それで先生方と交流出来るのが楽しいし、酒飲むのも楽しいって感じでしたからね。校舎が違っても兄弟がいるし、在日の引け目とかしんどいことは一切感じずに大きくなってしまったので特殊だと思います。だから話的には面白くないですね(笑)。

伊島 それが特殊ってことは他の方は苦労してたってことですか?

岩本 そうだと思います。中学までは義務教育だからいいんですけど、高校になると住民票を提出しないといけないって話になって、そうすると在日系の人達は住民票がなくて外人登録証明書っていうのが発行されていた時代なんで、そこではじめて自分が在日なんだってわかったって話は周りでいっぱい聞きましたね。

伊島 なるほど、そうなんですね。今の世代ではそういうことがけっこうあったということですね。

岩本 さっき僕、おじいちゃんの話でだいぶ悪口言ったんですけど、そんなこと息子の前で言ったことないですよ。薄々は知ってたとは思うけど(笑)。ただ一回だけ、うちの子がおばあちゃんからおじいちゃんの愚痴を聞かされたことがあって「ボクそんなことおばあちゃんから言われても困るな…」って僕に言ったことがある。おじいちゃんが死んだのは1991年でおばあちゃんが死んだのが2010年なんで、だから19年間ほどは愚痴が言える楽しい時間を過ごしたんだと思います。次女の両親ともすごく仲良かったし、母親同士二人で7、8年の間ずっと世界旅行してたんです。だから楽しい19年間だったと思います。

伊島 へー。素晴らしい。

朝鮮民族が国を作るってことを言っていたという時期があったんです

岩本 北朝鮮で1950年から1984年まで34年間も続いた「北朝鮮へ帰ろう!」っていう帰国事業の船が出ていたんです。そこに在日の人を乗せて『今から新しく建国された国へ行って豊かな国にしよう。そこは君たちの地上の楽園だ!』って話で、先ほど話した十軒長屋の在日の7軒の内2軒ほど帰った方がいたんですけど、お袋が「2年くらいは手紙が来てたんやけど、それから一切来なくなったから、亡くなったんやろな…」って言ってました。

ある時、両親が夫婦喧嘩して、親父が帰国事業の船に乗って帰るって言いだしたんですよ。北朝鮮へ帰るって。親父は「日本にいるから韓国の情報も確かじゃないし、日本はアメリカの統治国家だっていうのが腹立たしいから帰る。」って言って。でもお袋は「それだけは出来へん。子供らを引き取ってでもついて行かへん。」って。そんなすったもんだしてた時期もありましたね。まぁ行ってたら僕なんてとうに死んでるでしょうね。

伊島 帰国事業というのは、北朝鮮の話なんですか?

岩本 もちろん。帰国事業ってのは北朝鮮なんです。韓国に帰るんじゃないんです。

伊島 韓国の人もそのプロパガンダに乗っかって北朝鮮に帰りたがったった人がいたんでしょうか?

岩本 そうそう。曖昧な時期があって。朝鮮民族が国を作るってことを言っていたという時期があったんです。それにやっぱり憧れて、自分らの国を作るっていうのが当時の売り文句でしたから。実際問題さっきも話した例の北野武の映画の中でも帰ってますよね、甥っ子だけ連れて。で最後亡くなってますけど、あんな目にあうんだろうなって。金城一紀という在日の作家が書いて直木賞とった「GO」とかも朝鮮学校が舞台やから。在日朝鮮人の男の子と女の子が知り合ってっていう恋愛ドラマ。

伊島 行定勲監督と宮藤官九郎の脚本で窪塚洋介と柴咲コウが主演した映画ですね。

大阪府民で、日本国民。でも国籍は韓国です

伊島 最近「日本人ってなにをもって日本人って言うんだろね?」っていう話をよくするんですが、国籍なのか、心なのか、民族なのか、それはどこの国に行っても同じなんですけど、人種はどんどんミックスしていっているから、何人っていうのは結局国籍でしかないと思うんですよ。

岩本 そうですね。あくまで国籍の括りですね。この前ふと思ったんですけど、ボクなんかずっと実家でそのまま今の嫁と結婚して。大学もずっと大阪でしたし、独り暮らしもしたことないから。そう考えると僕って生まれてから65年間ずっと大阪府民やなって。ずっと大阪で暮らしてるから大阪府民で、そうするとつまり日本国民てことかなって。でも国籍は韓国です。

伊島 それは面白い考え方ですね。いいですね韓国籍の大阪府民って。

もっと混ざれば混ざるほどいいと思ってる

伊島 このインタビューした人に聞いてるんですけど、自分が飲みたいミックスジュースっていうのを提案してもらって、それをあとで僕が作って写真撮ることになってるんですけど、なんか考えてもらえますか?

岩本 ミックスジュースか。それはフルーツでもなんでもいいですか?

伊島 フルーツでも野菜でもなんでもいいですよ。

岩本 なんやろ。そう言われると韓国はいったいなんやろと思うけど、ボクは桃を思い浮かべてしまって。

伊島 桃ですか。

岩本 桃ですね。あとは大阪に住んでると若いもんが近かったりするんでみかんかな。みかんと桃のミックスジュースが相性も良くて美味しいかなと思います。

伊島 果物と野菜だけだとジュースにならない可能性があるので、なんか液体も足した方がいいと思うんですね。普通だと牛乳とか豆乳、水ってのも考えられますけど。

岩本 なんかそこは上手いこと言いたいですね。なんで牛乳かと言われたらわからないですけど、やっぱり牛乳はいいですよね。うまく混ぜ合わせてくれたら。

伊島 わかりましたそれじゃ牛乳で作らせてもらいます。ありがとうございました。他になにか話し足りないことなどあれば…

岩本 そんなんもう。いっぱい話しました。なんかもっと苦労話があった方が面白かったですよね。

伊島 いやいや。僕がなんの予備知識もないのに「蘇雨君(岩本さんの息子でMikkusu Magazinの編集者)のお父さんみたいな、そういう年代の人の話聞いてみたいな…」って言ってたら「親父がすごいノリノリになってて、逆に怖いんですけど…」って言うから、どんなすごい話が出てくるのか楽しみにしてたんです(笑)。僕は、最初に話したように、いろんな国籍、人種のミックスっていっぱいいて、なにもテレビに出ているようなハーフのタレントとか、そういう有名人だけじゃなくて、町のいたるところにいろんな人がいると思うから、そういう人の話をすごく聞きたいと思っていまして、だから今回岩本さんにお話を聞かせてもらってとても面白かったです。

岩本 聞いてくれるだけで嬉しいですよ。つまらない話でも。子供たちは覚えてないでしょうけど、彼女が出来たとか結婚って話になった時に言ったことがあるんですよ。「オマエらもう在日だからとかじゃなくて、できるだけ違う国の子と結婚してくれ。」って。「日本人がどうとか、そんなんじゃなくて、もっと混ざれば混ざるほどいいと思ってる。ミックスしたらええ!」って。

伊島 僕もそう思います。ありがとうございました。

岩本 おそまつさまでした。

伊島 今日はインタビューってことでスーツ着て来てくれはったんですか?

岩本 そうです。じつは先週、三男にお嫁さんを紹介してもらったんですよ。結婚するって。たまたま一ヶ月前にスーツ欲しいなって思って買ってたので、それで先週も着たんですけど、もっと着ないともったいないんで着てきました(笑)。

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