0017_21_02_17 福井あいしゃ Fukui Aisha

0017福井あいしゃ

クラブハウスでたまたま出会い、僕が酔っ払って寝てしまったていたところに、やさしく話しかけてくれたその声がとてもすずやかで…。プロフィールを見ると日本とアフリカのトゥアレグ族のミックスだというので、その場でインタビューのお願いをしたところ、快く受け入れてくれた。本当なら今頃フランスの学校で、ファッションビジネスを学んでいたはずの、とてもさわやかで美しい24歳。

伊島薫

 

 

伊島 この間クラブハウスでお話しした時に感じたんですけれども、声がすごくいいですよね。

あいしゃ そうですか。私、あまり自分の声が好きじゃないんですよね。

伊島 そうなんですか。

あいしゃ ホントはもう少し低い声がいいんですけれども(笑)。

伊島 いや、とても綺麗な声だと思います。

あいしゃ そうですか。良かったです。

伊島 今回、トゥアレグ族の方と日本の方のミックスだということ以外はなにも予備知識がないんですが、お話ししたようにミックスマガジンというものを今計画していまして。いろんなミックスの人、ミックスといっても、別に国籍とか人種的にも、両親ともに日本人でという人もいるんです。だけど、海外で活動している人とか、海外で生まれ育って外国のカルチャーがどっぷり入っている人なんかもいたり。もっと言うと人間って全員ミックスなんじゃないのというところに最終的には行きたいんです。その入り口として、日本においては混血の人は見た目的にもちょっと特別視されていたりするところがあるんですが、ただ単にそこにフォーカスするというわけでもなく、日本にもこんなにいろんなミックスルーツの人が生活しているし住んでいるんだよということを、いろんな人にインタビューすることでわかってもらえるようになったらいいかなと思っています。そんな中でも、あいしゃさんは、トゥアレグ族とのハーフということで、すごく興味が湧いて、ぜひお話を聞きたいなと。

父が日本人で、母がマリ共和国のトゥアレグという遊牧民なんです

伊島 ご両親の出会いみたいなところから、お話しを聞かせてもらえますか。

あいしゃ 父が日本人で、母がマリ共和国のトゥアレグという遊牧民なんですけれども。父が大学生の時に、一冊の本がきっかけでアフリカに恋をして、それでサハラ砂漠を横断したいと決めたらしいんですが、サハラ砂漠を旅するにはまずラクダの乗り方を学ばなければ、ということから、遊牧民に弟子入りをしようということでトゥアレグ族のところに行ったんです。そこで実際にラクダの乗り方やトゥアレグ族の生き方なんかを学びながら旅をしていたら、現地でも「ラクダに乗って旅をしている日本人がいるらしい」ということでけっこう話題になったらしくて(笑)。母もその時に一度見かけたらしいんです。

伊島 ラクダで旅しているところを。

あいしゃ その後父が日本に帰って、JICAだったりNGOの仕事を始めた関係で、4、5年後にまた西アフリカのマリと、ブルキナファソというマリのすぐ下にあるすごく小さい国なんですけれども、そこに戻って。母はその頃、村の子供たちにアルファベットを教えたり識字教育をしていた関係で、仕事のつながりで父と再会して、母が「私、4年前にあなたのこと見かけたの憶えてるよ。」と、話しかけたのが最初の正式な出会いだったみたいです。

*JICA/ジャイカは独立行政法人国際協力機構。開発途上国が抱えるさまざまな課題解決に向け、技術協力、有償資金協力、無償資金協力という3つの援助手法を一元的に手がけることで、より速く、より効率的に効果の高い援助を実施する、日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行っている。

伊島 そこで恋に落ちられて、それで結婚された。

あいしゃ そうですね。やはり紛争もあったりしたので、一度遠距離になって、すぐには結婚しなかったようなんですが。一時期、母と母の家族が行方不明みたいな状態になったりして。そういうこともあって、見つけた時には「もう危ないから日本に行こう。」ということになって、そこで結婚したみたいです。

伊島 紛争の最中にお父さんはマリにずっといらっしゃったんですか。

あいしゃ ずっとはいなかったです。2年くらい日本に帰ってきていたみたいで。付き合ってはいたんですけれども。でもその時には連絡が取れなくなったし、今みたいに携帯もなければ、SNSなんていうものもなかった時代なので、手紙でしかやり取りができなくて。母がいたのはマリのバマコというところなんですけれど、本当に砂漠の村だったりしたので、手紙を送っても返ってくるのが半年後というくらいすごくタイムラグがあったらしいです。そんなタイムラグがある中、母と母の家族が紛争でずっと逃げ回っていたところをインターポールにお願いして探してもらったみたいです。

伊島 すごいですね、それで見つかったんだ。

あいしゃ 父もサハラ砂漠を旅していた時にほぼ家出状態で日本を出たらしくて、父の両親もインターポールにお願いをして父を探していたみたいなんです。そのつながりで母も見つけてもらったようです。

伊島 すごいですね。

あいしゃ そうですね、両親の話は。

伊島 何年ぐらいの話ですか。

あいしゃ 1980年後半から90年ぐらいですね。

伊島 あなたは何年生まれなんですか。

あいしゃ 私は96年生まれで、今年25になります。

伊島 あいしゃさんはが生まれたのはどこで?

あいしゃ 生まれたのは京都です。その時父が京都で大学院に行っていて。

伊島 京都ではどれぐらい過ごしたんですか。

あいしゃ 2年弱ですね。なので、ほぼ私は覚えていない。ホントに生まれただけです、京都は。

伊島 京都で生まれて2歳まで。その後は。

あいしゃ その後はマリに行きました。

伊島 どれぐらい?

あいしゃ 5歳半までですね。幼稚園は向こうで行っていました。

伊島 それはお父さんの仕事、それともお母さんの?

あいしゃ 父が大学院を卒業して、仕事もNGO繋がりだったので、やっぱりマリというかアフリカに行きたいというので戻りました。

伊島 それで5歳半ぐらいまでマリにいて。それで、その後は。

あいしゃ その後は父の三重県の実家に一緒に戻りました。そこで私は小学校に入りました。

伊島 じゃあ、ほぼ三重で育ったということですね。

あいしゃ そうですね、小中は完全に三重県の桑名市です。高校は名古屋の高校に入ったんですけれども。高校2年生の夏にカナダに留学をして、そのままカナダで高校を卒業して、そこからは海外で勉強するようになりました。その後はアメリカのコミュニティカレッジという2年制の大学があるんですけれども、そこに1回入学したんですけれど、2年ぐらいで辞めちゃいました。

多分まずはファッション業界で働くと思います

あいしゃ 自分がしたいこととかいろいろ考えていて、いろんなことが重なって鬱になってしまって、これ以上このまま行ったら私ここで死んじゃうと思って辞めました。一度日本に帰ろうと思って。

伊島 それで日本に帰ってきたんですね。それが何歳ぐらいの時ですか。

あいしゃ 2017年。21になる年でした。桑名に帰ってきて、それから半年ぐらいは、ぼーっとしていて。それまではホントにアカデミックな、数学とか文学とかという一般教養の勉強をしていたんですけれど、もっと別のまったく違うことを勉強したいなと思ってまたアメリカに戻ったんです。今度はニューヨークに行って、半年くらいデザインをちょっとだけかじって。その後ファッションの勉強をしたいなと思ってフランスに行って、去年の3月、コロナ騒ぎがはじまるまでフランスにいました。

伊島 去年の3月までフランスでファッションを勉強していたんだ。

あいしゃ そうです。でもファッションといってもファッションビジネスビジネスなので、作るというよりは数字だったりマーケティングの勉強をしていました。

伊島 それで去年の3月に日本に戻ってきてからは。

あいしゃ 本当はすぐパリに戻りたかったんですけれども、やっぱりロックダウンで規制がかかっていたので戻れなくて。でももう、どれだけロックダウンが厳しくてもうそろそろ戻ろうと思ってるんですけれど。

伊島 今、東京にいるのはどうして。

あいしゃ 私、東京にいないですよ。三重県にいます。

伊島 えっ、今日は三重から来てくれたの?

あいしゃ はい。三重県から来ました。本当はビザの面接をしに来るはずだったんです。友人にも会うつもりで。でもそれがなくなっちゃって嫌だなと思っていたらインタビューのお話をいただいたので、これはいい理由になると思って(笑)。

伊島 そうなんですね、それは失礼しました。

あいしゃ 私が来たくて来ただけで、フットワークは軽いので大丈夫です。海外に行くのに比べれば、東京なんてすぐ。

伊島 じゃあ、もうぼちぼちフランスに帰られるんですか。

あいしゃ そうですね。フランスに戻りたいですね。

伊島 でもフランスは今、日本よりもかなり厳しい状況みたいですよね。

あいしゃ そうですね。ロックダウンという意味ではルールは確かに厳しいんですけれど、けっこう向こうにいる友人に話を聞くと、本当にみんな生活は普段どおりみたいで。夜、外出すると罰金があるから外には出ないけれど、それ以外は「コロナどうしよう…」というような焦りとか、どんよりした雰囲気はないみたいです(笑)。

伊島 学校も授業をやっていないと聞いてますが。

あいしゃ そうですね。基本オンラインでやっているみたいです。オンラインか、どうしても実技が必要な授業とかはクラスの人数制限をして対面授業をやっているみたいなんですけれども。基本はオンラインみたいですね。

伊島 ファッションビジネスを勉強して、いずれはファッション業界で働きたいということでしょうか。

あいしゃ そうですね。でも正直、ファッション業界で働きたいというのも確信はなくて。もちろん日本に帰ってくる直前まではそのつもりでいたんですけれども、帰ってきて時間が有り余っている中でいろいろ考えていると、迷いはありますね。でも多分まずはファッション業界で働くと思います。その後は流れに身をまかせて。

伊島 今お話ししていて日本語は完全に流暢ですよね。それにフランス語と英語もできて、その以外にマリ語も?

あいしゃ トゥアレグの人達だったり、マリの北のほうで使われている民族言語でタマシェク語というのがあるんですけれども。それは今も聞けば半分ぐらいは分かるんですけれども、もう話すことはできないです。

伊島 お母さんは日本語で喋っている。

あいしゃ フランス語です。マリはフランス語圏で公用語はフランス語なので。

伊島 アフリカはけっこうフランス領が多いものね。フランス的な文化というか、街並みなんかも多少フランスっぽいところはあるんですか。

あいしゃ どうだろう。マリはモロッコのカサブランカみたいな感じはないですね。

オマエはどうして旅をしているのか?」と問われた時に、

父は「ロマンで旅してる。」とは言えなくて

伊島 僕たちはトゥアレグ族のこともそうだけれども、マリ共和国という名前は知っていても、どんな国なのかということはあまり知らなくて。なにか少しマリ共和国のことを少し教えてもらってもいいですか。

あいしゃ まず地理的にいえば7割がサハラ砂漠なんです。南の方にバマコという首都があるんですけれども。独立したのが64、5年かな。そこから政権も何回か変わったりしていて。途中、軍事政権の時もあれば、もっと別の形で独裁政権というときもあったり。かなり治安的には良くないです、今。

伊島 今でも。

あいしゃ そうですね。悪くなっているみたいです。なので、母の親戚も多分、もうみんなトルコに行ったりモロッコに行ったりと、みんなバラバラな所に住んでいますね。フランスともやっぱりまだ問題があるみたいで、フランス軍が介入してきたりということもあったり。半年ぐらい前にまたクーデターがあったようで、もうぐちゃぐちゃだと思います。

伊島 お母さんはトゥアレグ族の遊牧民だったわけですけど、実際に遊牧されていたんですか。

あいしゃ はい。テントで移動して、遊牧をしていたみたいです。テントを立てて牛を連れて。もちろん村もあったりするので村で生活している時期もあったようですけど。私は小さいころ、そこにどっぷり浸って生活はしていなかったんですけれど、幼稚園に通っていた頃はやはり親戚がそういう生活をしていたので、何時間も車を走らせて会いに行ってはいました。

伊島 お母さんと一緒にマリに帰った時に、自分の家族や親戚の人がいつも同じところにいるとは限らないということですよね。

あいしゃ 限らないですね。今思えばどうしていたんだろう。小学校の頃、夏になると1ヶ月くらいは毎年クルマを10時間ぐらい走らせて行っていたわけなんですけど、そしたらいましたね(笑)。確かにどうしてその場所がわかったんだろう。この時期はここにいるとかがあったのかもしれないですね。

伊島 携帯があるわけじゃないですしね。

あいしゃ そうですね。無線とコンパスみたいなのを持ってやっていましたけど。よくそれで辿り着けたなって思います(笑)。

伊島 面白いですね。でも、そこに行くのはラクダではなくて車なんだね(笑)。でも、遊牧している人達は実際にラクダとかで遊牧をしているわけだ。

あいしゃ そうですね。でも多分、この10年15年でどんどん実際に遊牧している人は減っているみたいで。みんな都市部だったり、他の国や町に移住というか定住しているみたいです。

伊島 遊牧してる間、食べ物とか飲み物とか、どうやって手に入れるの。

あいしゃ 水は本当に何キロも歩いて、やっとある井戸から汲んだりとか。食事は牛、ヤギを飼っているので実際に自分たちで。

伊島 家畜を連れて歩いているわけだ。

あいしゃ そうですね。その乳を絞ったり自分たちでさばいたり。

伊島 ホントに無知で申し訳ないんだけど、遊牧する意味というのはなんなんだろう。家畜に食べさせる牧草みたいなのがあって、それがある所ある所を探して歩くということなのか、もうちょっと別の意味があるのか。

あいしゃ それこそ父が遊牧民に憧れて弟子入りしていた時に「オマエはなぜ旅をしているのか?」って聞かれたらしいんです。その人たちは、「オレたちは生きるために旅をしている。これしか生きる術を知らないから旅をしている。オマエはどうして旅をしているのか?」と問われた時に、父は「ロマンで旅してる。」とは言えなくて、そのことに父は衝撃を受けたらしく、それで旅するのをやめたらしいんです。「こんなこと、ロマンでするものじゃなかったんだ!」と思って。今はいろいろ文明も発展して、携帯とか便利なものもいっぱいあるので、政治的なことは置いておいて、実際に遊牧している人が減っているのは、他に生きる術ができたからなんだと思うんです。ホントに、私の両親が出会った頃までは、その人たちはその生活しか知らなかったし、それしか生きる術を知らなかったということなんだろうなと思います。

伊島 砂漠だからかなり過酷なわけですよね。天候とか、水の話もそうですけど。家畜は分かるけれど、問題は家畜の餌だよね。人間はその家畜の恩恵をうけるわけだけど、その家畜を養っていかないとやっていけないわけだから、つまりそれを育てたり殖やしながら旅して行くということだよね。

あいしゃ それで気候に合わせてまた場所を変えてということですよね。

伊島 それって、すごいサイクルですね。

あいしゃ そうですね。環境に合わせて自分たちの生活を営んでいたというだけだと思います。

お母さんも牛肉大好きです(笑)

伊島 マリ、日本、アメリカ、カナダ、フランスと、いろんなところで暮らしてきて、トゥアレグ族の血と日本の血が混じっていることで、なにか感じることというか、それに起因したような出来事とか意識とかはありますか。

あいしゃ トゥアレグとのハーフだからということにかぎらず、5歳、6歳の時にはじめて日本に来た時は、それまでフランス語しか使っていなくて日本語が下手だったので、フランス語の文法で日本語を話したりしていて、なかなか周りに馴染めなくて、すごく人見知りだったことを憶えています。それに私の周りのハーフの子も、ほとんどは父親が海外の方で母親が日本人の子ばかりだったので、たとえば学校の行事だったり教師と話すとなった時には、みんな他の日本人の子と同じようにお母さんが学校に来て先生と話すわけなんですけど、私の母はまったく日本語が話せないので父が来ていたということもあり、今振り返ってみれば「ん?なにか違う。」と思っていました。あとは母がけっこう厳格なイスラム教徒なので、常にサリーを着ていて、毎日5回お祈りもしていたり、小学生の頃は「あいしゃちゃんのお母さんてなんか違うね。」って言われたりして、お母さんのことをすごく恥ずかしいと思ったこともありました。今となっては申し訳なかったと思っています。

伊島 お父さんはイスラム教徒?

あいしゃ そうです。結婚するときに改宗しました。

伊島 ということは、あなたもイスラム教徒。

あいしゃ 私は信仰していないです。

伊島 めずらしいね。両親がイスラム教徒だと、子供も当然イスラム教徒として育てられるわけですよね。あなたの場合そういうことはなかったの。

あいしゃ 母は私をそういうふうに育てようとしていましたし、お酒は飲まない、豚肉も食べないというふうには育てられたんですけれども、父は改宗したとはいえ、その理由が母と結婚するためというのが大きかったので、まったく強制することもなく接してくれたので。私も、母の前では「イスラム教なんて信じない。」とは言わないですけれども、かといって肯定もせずに過ごしています。私がやっぱり信仰できないなと思ったのは、海外に行ったことが大きかったんですが、母はそういう私を身近では見ていないので、どうこう言いこともないですね。

伊島 あいしゃさん、お酒は?

あいしゃ 私は飲みますし、カナダに行ってから豚肉も食べるようになりました。

伊島 イスラム教徒は豚肉は食べないけど、他の肉は食べるわけですよね。

あいしゃ 食べますね。お母さんも牛肉大好きです(笑)。

今一周回って「自分が一番!」って思えるようになった

あいしゃ ハーフがどうのこうのという話に関しては、私は日本を出てカナダに行ってからの方が考えることが多かったですね。日本にいる時に感じる違和感と、海外にいる時の違和感というのは、なにか違うという感覚がありました。

伊島 カナダではどういう感じなんですか。

あいしゃ 日本にいた時は、みんな平和に淡々と日々を過ごしているように感じていたんですが、海外に行くと政治に関しても若い人たちが積極的に声を上げていたり、何々人であるということにすごく誇りを持っている子が多かったんです。最近、クラブハウスでハーフ、ミックスの集まりなんかに顔を出してみると「日本人はどうしてみんな、どこ出身って聞いてくるの?」という話をよく耳にするんですけど、私はカナダに行ってからの方がそれを強く感じたんです。みんなどこ出身なのか、自分のこと何人だと思っているのかについてすごく意識を持っている。私、日本で「何人だと思っているの?」なんて聞かれたことがなかったので。それっていったいなんだろうみたいな。アイデンティティ・クライシスみたいなものを、海外に行ってはじめて経験しました。

伊島 アメリカもカナダも元々は移民の国だから、ミックスだらけなわけですよね。だから逆にその自分のルーツというか、やはり自分のアイデンティティを確認したくなるのかもね。

あいしゃ もちろん基本的にポジティブな意味だとは感じているんですけど。アメリカなんて特に、今のBlack Lives Matterの問題もそうですが、黒人は黒人であることに誇りを持とうとしているわけだけど「一緒になろうよ!」というために、今は一旦別かれちゃってるのかな、という感じがありますね。

伊島 これはホントに繰り返すとは思うんだよね。

あいしゃ そうだと思います。

伊島 今、日本でも50人に1人ぐらいはハーフかミックスの人だと言われていて。たとえば外国人も含めて、学校の一クラスに一人くらいは確実に外国の血が入った人がいるということなんですよ。1/50というのはけっこうな率だなと思うんです。

あいしゃ 多いですよね。

伊島 そう考えるとホントにあと何世代かするとその比率はどんどん上がっていって、かといって、じゃあまったく黒人でも白人でも黄色人種でもない新しい人種ができるのかといえば、絶対そんなことはないわけで。なにもみんなが同じになることがいいことではなくて、それぞれがみんな、自分はこういうルーツを持った人間、あの人はこういうルーツを持った人なんだっていうふうに、それぞれが自分のアイデンティティに誇りを持って、他の人のアイデンティティも尊重するというような意識をみんなが持てれば、まさにさっきの話じゃないけれども、ポジティブな意味で「あなたはどこ出身?」「どういうルーツなの?」って、普通に会話できる、そんな世界になってほしいですね。

あいしゃ 絶対そうなってほしいですね。

伊島 もともと日本人同士でも「どこ出身?」って聞くじゃない。それで「ああ、やっぱり関西人だと思った。」とか「えっ、わたしも同じ…」みたいな感じ。

あいしゃ そうですよね。沖縄って言ったら「ああいいね、穏やかで…」みたいな、そういうのはやっぱりありますよね。

伊島 そういえば、クラブハウスで「ちょっと鬱になった…」とか言っていたけれど、そういう鬱なあいしゃさんが全然想像つかないなぁ。

あいしゃ たしかにそういう時期もあって(笑)。そのとき私は「分断が…」とか「アイデンティティが…」とかいうことばかり考えていて。考えたらもうホントにキリがないし、たとえば「私はこうです。」と言ってみても「ああそうなんだ。」と思う人もいれば、どれだけ話してもわかってくれない人もいる。そういう答え合わせを必死にしようとしていた時期だったんです。でも「こんなこと意味ないわ!」というふうに思えるようになって、今一周回って「自分が一番!」って思えるようになったので、今はぜんぜん好きに生きています。

伊島 自分が一番っていいね。

あいしゃ 自分が一番、だいじです。

伊島 学生時代にイジメとかそういうのは別になかった?

あいしゃ イジメはなかったです。いじられることはあったんですけれど(笑)。今思えば、周りからされたことよりも、私自身が一番自分の首を絞めていたなと思っていて。もっとあっけらかんと過ごせばよかったものを、極端な例ですけれど、みんなみたいに髪の毛が真っ直ぐじゃないのが嫌だなと思ってずっとストレートにしていたり、肌を必死に白くしようとしたりとか。今思えば私のちぢれた髪を、むしろ褒められていたのに嫌だと思っていた。もちろんそれでいじめられる子も実際いるので、そういうことを無視はできないですけれども、私の場合、自分が自分を一番追いやっていましたね(笑)。

伊島 さっきのお母さんのことを恥ずかしいと思ったことがあるという話がありましたけど、それに近い話はよく聞くし、周りと違って見えるということに対してコンプレックスを持つ人は多いみたいですね。

あいしゃ そうですね。

伊島 なかなかそこが自分のいいところで、それが自分のアイデンティティなんだと、最初から言える人は少ないというか、難しいんだろうね。そこを克服すると逆に強くなれる気がするんですけどね。

あいしゃ 楽ですね。生きやすいです、今は。

伊島 それはいいことですね。フランスなんかは黒人も多いだろうし、かといってそれでどうこうということはあまりないような気がするんだけど、どうですか。

あいしゃ そうですね。私の場合、日本とマリのハーフだというと、反応はすごくいいですね。フランスの人はやっぱり基本的にマリをみんな知っているので、どっちも好きみたいな人は多いです。アメリカに行っても、今思えばアフリカの血とアジアの血が混じってるとなると、けっこうどこかしらみんな共通点を見つけてくるんですよ。なので、カリフォルニアにいた時、アフリカ系何々人という子がいた時に、私のお母さんはアフリカ出身なんだと言うと、「そうなんだ、仲間だね。」という子もいれば、「だったらアジア系のコミュニティに行ったら。」という子もいたり。でも多分、私はすごく得しているんだろうなと思います。

あれすごく私ニヤニヤしながら読んで、いいなって思いました(笑)

伊島 このインタビューはまだ十数人かしていないんだけれども、必ずインタビューした人にミックスジュースを作ってもらうことにしてるんです。何を入れたいかというのを聞いて、インタビューの記事とは別に、後で僕が作って写真を撮って、ミックスジュースのコーナーを作ろうと思っていまして(笑)。

あいしゃ このインタビューのオファーを受けたときのメールに、そのことが書かれていて、あれすごく私ニヤニヤしながら読んで、いいなって思いました(笑)。

伊島 ありがとう。で、なにがいいですか?果物でも野菜でも。

あいしゃ なにを入れたいかな。バナナは入れます。バナナとモロヘイヤ、りんご、ほうれん草。なんかすごく不味くなりそう(笑)。なんでモロヘイヤを入れたんだろう?(笑)

伊島 いいじゃないですか、モロヘイヤ。

あいしゃ では、りんご、モロヘイヤ、ほうれん草、ヨーグルト、砂糖なしの。

伊島 砂糖なしですね。

あいしゃ それにヨーグルトとお水かな。

伊島 わかりました。じゃあこれで作らせていただきます。

あいしゃ お願いします。

伊島 ありがとうございました。いつフランスに帰ってしまうかわからないタイミングで、お話しできてよかったです。

あいしゃ こちらこそ、ありがとうございます。

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