0012_20_10_10 牛田祐輔 Ushida Yusuke

0012 牛田祐輔

幼少期をシンガポール、マレーシアで過ごし、中学生の時にはじめて日本に帰って来た少年が、好きな洋服の仕事に携わりながら自分のブランドを立ち上げた時、初めて自分の生まれ育った環境を意識した。そこで芽生えた東南アジアの文化に対する興味を、自身のブランドコンセプトに昇華している、牛田祐輔。東南アジアと大阪の出会いが、そこでしか産み出すことのできない新しいなにかを見せてくれるのではないかと期待させてくれる、若きファッションデザイナー。

伊島薫

伊島 僕が牛田さんに関して知っていることといったら、ネットで大阪のデザイナー4人で喋ってるインタビューをいくつかと、やはりネットで販売されてるブランドの洋服を見させていただいているくらいなんですけれど、とりあえずいちからいろいろとお話を聞かせていただきたいなと思いまして。

牛田 よろしくお願いします。

伊島 牛田さんは聞くところによると、生まれは日本なんですよね。

牛田 0歳でもう海外に飛んだんです。両親とも日本人で、父親が東京、母親は神奈川です。結婚して世田谷のアパートに住んでいて、僕が生まれてすぐに父親の転勤が決まって。メーカーのサラリーマンをしてるんですけど、会社の方針で東南アジア攻めようってなって、最初はシンガポールで4歳まで。その後マレーシアに12歳までの8年。トータル12年間海外で育ちました。中学校1年のとき東京に帰って来たんですけど、家がなかったから、父方のおばあちゃんの家が杉並区なんで、その近くにしようってことで練馬に住むことになって。そこからずっと練馬です。 24、25歳の時に仕事のきっかけで大阪に来て、土地感が気に入ってしまってそのまま今に至ってます。

伊島 ブランドを始めるにあたって大阪に来たんじゃないんだ。

牛田 その頃、東京でプレスの仕事をやってたんですけど、大阪のブランドを2つ3つ担当していて。その仕事を辞めた時に、大阪の担当ブランドの先輩が「やることないんだったら大阪来たら?」って言ってくれたんですけど、地元じゃないから家族とか友達もいなかったし「絶対イヤです!」って言ってたんです。でも実際やることなくて、ちょっと大阪に遊びに行ってみようかなって、2、3回遊びに来てたら、3回目ぐらいには家を決めてました。「いずれブランドとかやりたいんですよ」って先輩に話したら、「修行だと思って二、三年やってみたら…」って言われて、嫌だったらすぐ帰ればいいしって、軽いノリで来てしまいました。

伊島 元々、洋服のデザインとかはやってたんですか?

牛田 なにもやってないです。大学にも行ってたんですけど、洋服が好きだったんで専門学校でちょっと学んだことはあるけど、頭には入ってなかったですね。最初に先輩が誘ってくれたブランドはサングラスブランドだったんですけど、デザインして物作りをして売っていくって行為に関しては一緒だから勉強になるんじゃないって感じで、それから洋服に関わる仕事をずっとしてましたね。その時は洋服のブランドを自分でやるとは思ってなくて、ただ、いつかは自分の城を持ちたいっていう気持ちだけはありました。働きながらいろいろ悩みながらも、結局4年くらいそんな感じで仕事してたんですけど、マレーシアが好きで何度か旅行にも行ってるうちに「そういえばオレ、マレーシアに住んでたんだった。それをテーマにしよう」と。やっていくうちにやりたいことが出てくるんじゃないかと、小物からやり始めて、どうしても洋服がやりたいとかではなくてけっこう風まかせ的な考えで(笑)。

伊島 生まれたあと、育ったのはシンガポールとマレーシアで、12歳までマレーシアにいたわけですよね。

牛田 だから食べ物とかほぼ食べれない。

伊島 食べれない?

牛田 食べれないです、納豆とか豆腐とか(笑)。母親が作ってくれてましたけど、魚も違うし。コロッケとか日本の物作ってくれましたけど、漬物とか小鉢で出てくるような割烹料理屋さんで出てきそうなヤツは9割くらい食べられないです。味付けが(笑)。

伊島 食べられないというよりも、知らないで育ったってわけですね。

牛田 知らないで育って、日本のその手のご飯は全体的に甘くて今も嫌いです。向こうは屋台で食べた方が安いんで、母親も疲れた時は屋台に行こうってなって、ぷらぷら歩いて家族で屋台に行くみたいな感じで向こうの料理ばっかり食べてたんで、日本食は必然的に食えなくなってしまいました。マレーシアでは基本クルマでの移動だったから、自転車でどっか友達と遊びに行くっていうのをやったことがなくて。危ないからマンションから外に出ることもないし。親にクルマで友達のマンションに連れてってもらって遊ぶという感じだから、日本の小学生みたいに、外歩いて駄菓子屋行ってみたいなことをやったことがなくて。

都会の屋台の経営者はみんなベンツとか乗って来てて

伊島 マレーシアは英語教育なの?

牛田 マレーシアにはもちろんマレー語があるんですけど、マレーシアといえば多民族国家っていうくらいミックスしていて、マレー系のマレー人、インド系のマレー人、チャイナ系のマレー人とか。老後住みたい国ランキングで常にナンバーワンと言われてるくらい、白人さんとかもいっぱいいて、共通言語は英語。だからクルマの標識とかもマレー語と英語になっていて、外国の人達も住みやすくなってる。

伊島 僕の知り合いで、マレーシアはすごく教育のレベルが高くてすごくいいからって、子供を連れてマレーシアに移住した子がいるんだけど。今の話を聞いていると住みやすい国ランキングで上位っていうわりには、そんなに危険というのはどういうことなの?

牛田 日本人は金持ちって思われてるので。当時のマレーシアは警察がほとんど稼働しないなんて言われたくらい治安がよかったんですけど、中には悪いヤツもいて、金持ちの子供達だけで出歩いてたら拉致されるとか、スリとかも平気であって。人殺しとか残忍なことはそれほどないんですけど、日本からおばあちゃんが遊びに来てくれた時も、二人組のバイクの男にバーンってバッグ持っていかれちゃったってこともあって。マレーシアはイスラム教がすごく強いんですけど、いろんな宗教のなかでも信仰心が強いと言われていて、酒飲んじゃいけない、犬触れない、豚食えないとか、女の人は旦那さん以外の人に肌を見せてはいけないとか。そういう意味では厳しい宗教なんであんまり悪い人が多い感じはなくて、基本的にはのんびりしていて平和なんだと思います。だから向こうにいた時には時計をあんまり見なかったです(笑)。日本ではちゃんと時間通りに電車が来るけど、まずそんなこともなかったし。常夏で雨季はあるんですけど、ホントにみんなのんびりしてる。僕もそんな中でのんびり育ってきたんで、今もマイペースが抜けない(笑)。

牛田 マレーシアの子供は、基本みんなマンションで遊ぶんですね。日本とはコンドミニアムのレベルが違って40階建てとかもあって。うちはたまたま小さい5階建ての日本のアパートみたいな感じだったんですけど、まず100%プールはついていて、広場とかもあって、学校からバスで帰ってきたらマンション内でマンションの友達と遊ぶ。サッカーしたり、プールも「だれだれの家のプールにスライダーあるからアイツの家のプール行こう!」って親に連れてってもらって、また夕方になると親が迎えに来る。ともかくマンションの中で遊ぶ。外にカラオケに行くとかボーリングに行くとかってなると、親が同伴じゃないと行けないからクルマで行く。習い事とかも日本みたいに高くないから、みんなけっこう習い事をやってて、僕も、月曜日はテニス、火曜日はプール、水曜日はピアノ、木曜日はなにもないからみんなでサッカー。土日は親と伊勢丹とか行って買い物して、ご飯食べて帰ってくる。ずっとそんな感じでしたね。

伊島 屋台でご飯食べようっていう時も、クルマで屋台に出かけて行くってこと?

牛田 そうです。それで親がよくどっちが飲むかってじゃんけんしてましたね。住宅街には家から歩いて行けるような路地裏にもいくらでもあるんだけど、やっぱり都会の屋台の方が高級というか。屋台って汚いイメージあるけど、都会の屋台の経営者はみんなベンツとか乗って来てて、稼ぎが多い人たちの仕事でもあるんです。中華料理もあれば韓国料理もあるし日本食もたまに行ってましたね。ただ寿司屋のクウォリティは低かったですけどね(笑)。

伊島 友達もみんな日本人ってことだよね?

牛田 そうですね。ほぼほぼ日本語で会話してて、ただスクールバスの運転手とかマンションのガードマンは英語だったり、英語の授業も1年生からあって英検5級とか小3で取ってましたね。

伊島 じゃあ、まぁまぁ英語はできるんだ。

牛田 そうですね。外人がいるのが当たり前だったし幼稚園は英語だったから、日本人特有の外人にびびったりするような感じはなかったですね。

伊島 そうするとマレーシアの文化っていうのは、どういうところで身に着いたの?

牛田 今の方が調べてるし勉強になってます。マレーシアをテーマにして勉強し始めて、あらためて「あったわ!そんな染めの文化。」って感じで。日本が好きだったから、年に一回日本に帰るとゲーム買って洋服買っておもちゃ買ってって、日本がサイコーに楽しくて、クウォリティが高いと思ってたから「マレーシアの物なんて…」って思ってました。いちおうマレーシアの学校だから「国の文化に触れましょう!」っていうのはあったし、社会科見学に連れて行かれても当時はまったく興味なくて「なんだこれ?」くらいに思ってたした。ましてや民族文化なんて小学生の時にはぜんぜん興味なかったし、民族衣装着せられても「ダッセー!こんなのヤダよ」みたいな感じで嫌いだった。今の方が染めの文化とか、布も民族衣装をテーマにしてるんで興味あるというか。だから当時はまったく触れてないです。早く日本に帰りたいってずっと思ってました。

蛾のくせに綺麗だからって蝶と言われてるのが男心的にカッコイイなと

伊島 自分でブランドを立ち上げて、洋服作って行こうってなった時に、はじめてマレーシアを思い出してそこから勉強し始めたって感じなんだ。

牛田 なんとなく覚えてることが多くて。たとえばブランド名の“rajabrooke”(ラジャブルック)っていう名前は卒業文集の名前なんです。

伊島 卒業文集の名前?

牛田 マレーシアの日本人学校で、毎年最後にみんなで将来の夢とか作文書いて、1年生から6年生までの全部を一冊に纏めたのが配られるんですけど、その卒業文集の名前が“rajabrooke”だったんです。今、あらためて引っ張り出して深堀してます(笑)。

伊島 ラジャブルックっていうのはどういう意味?

牛田 蝶々の名前です。ホントは蛾なんですけど、美しすぎて蝶に見えるからマレーシアの国蝶になっちゃったっぽくて。国外持ち出し禁止で、標本でも持ってたら空港で止められるって言われてるくらい希少価値が高い。ラジャは英語でキングって意味で、マレーシアはイギリス領だったから建物もイギリス様式なんですけど、当時のイギリス人の総督が、ボルネオ島かなんかでその蝶を見て「これは美しいからオレの名前を付ける」って、キングブルックって意味でラジャブルックになったみたいです。だからブルックはマレー語でもなんでもなくて(笑)。長い名前だとラジャブルック・バードウイング・バタフライっていうんですけど、鳥の羽くらいデカくて、撃ち殺して捕まえたっていう伝説があるくらい。でもホントは蝶じゃなくて蛾だから、花の蜜を吸うわけでもないし蝶がいそうな所にはいなくて、綺麗に見えるけど汚いゴミ捨て場とか温泉が湧いてるような場所にしかじつはいない。でも蛾のくせに綺麗だからって蝶と言われてるのが男心的にカッコイイなと。そんなカルチャーとかストリート性をファッションに落とし込んで、上品に男心をくすぐるようなものを作りたいなって思ったんです。綺麗な高層ビルと汚い路地裏が表裏一体になっているマレーシアの街が、常に頭の中のイメージにあるんです。

伊島 なるほど。

牛田 今となってはこっ恥ずかしいですけど。そのときはそう思ってブランド名にしました。

無意識にマレーシアとかの東南アジアの目線、フィルターで物事を見ちゃってる

伊島 その入れ墨はどこでいれたの?

牛田 これは日本です。でも全部マレーシアのコインを入れてます。1ドル3ドル10セント20セントとか…

伊島 その柄がってこと?

牛田 日本で言ったら平等院鳳凰堂とかそういう。

伊島 そういうことね。コインの柄ってことか。

牛田 僕はマレーシアに住んでたのが十何年あるから、やっぱり人生の上でもだいぶデカいし、日本のブランドだけどインスピレーションの出どころが違うのは面白いかなと思って。タトゥーも和彫りとかアメリカン・トラディショナルとか、いろんなスタイルがある中で、マレーシアのものを入れてオリジナルで行こうと。これはコインの5セントだったり、お札の柄とかマレーシアのもの入れてたら面白いかなって。言われてみればミックスは常に意識してると思います。身に着ける物も家の家具も、日本風だけど東南アジアっぽいものとかがあるとすぐ目が行っちゃうし、猫飼いたいなって思った時にあんまり品種知らないけど、シンガポーラなんていうのがいて、運命感じちゃって(笑)。けっこう無意識にマレーシアとかの東南アジアの目線、フィルターで物事を見ちゃってる。それを取ったらなにもないなって。乗ってるバイクも、向こうの汚いタイカブと言われてるタイの為にホンダが作ったやつをイメージして選びました。向こうのヤツらって便所サンダルみたいな汚い恰好して3人乗りでブーンっていうのが日常で。それを真似してお洒落にやってみようとか、全部あっちのインスピレーションで動いてる。洋服も日本の生地で日本の縫製工場でやるんだけど、襟は向こうの民族衣装の高さにしてみたりとか、薄っすら向こうのバティック柄を乗せてみたりとか。ただ、向こうにあるモノをそのままやってもしょうがないと思うし、それなら向こうにあるバティック柄のシャツを買い付けて売ってるだけになってしまう。オリジナリティを出すには1回日本のフィルターを通さないとミックスしないから。マレーシアのブランドですかってよく聞かれるけど、異国情緒を感じる日本のブランドですって答える。インスピレーションを受けてる源泉がアメリカとかヨーロッパじゃなくて、マレーシアに設定していることで違う見え方をするんじゃないかなと。

伊島 そうなるよね。逆にいうとそれを突き詰めていくしかないね。面白いです。

牛田 面白くしたいです。誰にも言われてないのに勝手に任務になっている。べつに彫りたいタトゥー彫ればいいし乗りたいバイク乗ればいいだけなんだけど。でももうここまで来たら、そういうストーリーあることを続けていたら、いずれそれが自分のスタイルになるのかなって(笑)。

伊島 いまブランドはじめて何年くらい?

牛田 3年弱くらいです。

伊島 縫製工場とかはやっぱり大阪なの?

牛田 工場は、カットソーとかモノによって違うんですけど、なるべく大阪がいいなって思ってます。小さいところだとボタン屋さんとかジップ屋さんとかタグやさんとかは、やっぱり紹介してもらったところでやるしかなかったんですけど、それも徐々に大阪に代えていってます。生地屋も大阪支社があるところをなるべく選んだりとか。そのほうが自分で廻りやすいので普段は大阪の業者を廻ったり。工場は千葉とかいろんな工場に頼んでるんですけど基本的には大阪です。こまごましたのは基本大阪にしていってます。メイドイン大阪って言っていった方がいいかなって。僕はバティック柄をデジタルでいじって服にのせるっていうのをやっているんですけど、インドネシアの工場と繋がれる機会があって、今はレディースも始めて、向こうのバテッィク工房で本気の職人がろうけつ染めして作ったオリジナルの柄で生地を作ったりしています。それがずっと夢でもあったんで。今後どうしていきたいかっていうのがハッキリあるわけではないけれど、本気でやっていれば大丈夫かなと。向こうも絡めて向こうの工場でも作ったり日本の工場でも作ったり、それこそミックスして、そういうことやっていたら唯一無二のものになるのかなって思ってます。

伊島 ブランドをスタートした時の資金は自分で貯めたの?

牛田 貯めました。でも大した額じゃなかったんで結局借りました。足りるかなって思ってたけど全然足りなくて、どれくらいかかるかもわかってなかった(笑)。最初はできるお金の範囲内でやってワンラックだけだったし、もちろん食べられないし(笑)。だから前の仕事をしながらやっていて、やってたら徐々に商品数増えていったり認知もされていったり。今の時代は昔よりもスマホがあるので認知が早かったりして。ほんとにちょっとずつ、ちょっとずつ伸びてる感じです。今はやっと他の仕事をしなくても細々と生きて行けるくらいにはなったかなという感じです。

伊島 それで今度はインドネシアの工場と仕事したりとかして広げて行けるっていうのはなかなか凄いですね。

牛田 なんかそういうふうに変わって進化していかないと人気商売だし飽きられちゃうんじゃないかって不安はずっと抱えながら、新しいフェーズにどんどん行って、ちゃんと成長するブランドでありたいなって。なにか新しいムーブメントを仕掛けるっていう脳みそはあんまりなくて。それよりクウォリティを上げたい。最初はフワッと一人でのんびり始めたんですけど、地盤の強いしっかりしたブランドにしたくて。だからといってでかい規模にするとかは思ってない。しっかり地に根を張ってやる為には生産背景とか、東南アジアがテーマって言ってるんだから、東南アジアのことを絡めたりして、ちゃんとやってるんだなって思ってもらいたい。そういうアンテナは建てるようにしていて、いい話とか素敵な話があったら飛びつくようにしてます(笑)。

伊島 コロナの影響はどうなの?

牛田 僕は自分で店舗とかはやってなくて、基本、家か事務所にいるのでダメージを感じることが意外とない。でも展示会に出してみてそのオーダー数が減ったりとか、そもそも展示会にバイヤーさんが来れないとか、着てみないとわからないモノだから直接会って商品を伝えることが叶わなくて、それで物理的に減るとかはあるんですけど。でも減ったからってコロナで減ったわけじゃないかも知れないし、ただ僕の商品がお気に召さなかっただけってこともあるから(笑)、あんまり考えないようにしています。

自分が必死過ぎて、忙しすぎて周りを見てる余裕がないです

牛田 本当に理解されるものだったら、いつか追っかけでもブランドの価値はついてくるから。やっぱモノ作ってるとメンタルとリンクしてるっていうか、メンタルがいい時は良いモノが作れるなって感じるから、モノ作りにおいてはなににも影響されないようにしています。コロナだからデザインが変わるとか意味わかんないし、作りたいものはずっとあって、作らないと気が済まないし。そういう意味で作ることに関しては、世の中とかに関係なく、次はこういうものを作りたいなって向き合ってる時間の方が長くて、あんまり気にしてないんです。

伊島 なるほど。

牛田 でも「もっとオンライン強化したり売り方考えたりしたほうがいいよ」とか「ホームページにもっとお金かけた方がいいよ」とか、周りからはいろいろ言ってもらうんですけどね。単純にいろんなこと考えてしまって動きが鈍って出来ないのと「焦りは禁物」って言い聞かせてるというか、うさぎとカメだったらカメが好きだから、一歩ずつゆっくり成長していきたいというか。何年までにこういう構想立てて、とかできないんです。一番の夢は続けることですね。続けることが一番難しいと思ってるから。それでまた「強気だね」とか「余裕だね」とか言われちゃうんですけど、多くを求めずにやりたいことをやり続けられたらいいなって思っているんです。そのあたりがマイペースって言われちゃう所以なんだと思いますけど、のんびり行きたいんです(笑)。

伊島 そのあたりも、マレーシア・スタイルっぽくていいね。

牛田 冗談抜きで新宿駅のサラリーマンとか見たとき、衝撃的でしたね。映像は見たことあったけど、人多いし、せわしないし、怖いなこれって。父親は煙草やめてたのに、日本に帰って来て日本の会社に戻ったらまた煙草再開しちゃって。ストレスがぜんぜん違ったんでしょうね。向こうにいた時はクルマで出勤したり、のんびりノンストレスで働いてたのに、いきなり日本の社会に戻ったら、いろいろ「うわぁ!」ってなったんでしょうね。

伊島 そういう意味でも大阪の方がよかったのかもね。

牛田 そうですね。大阪の方が肌にあってるってよく言われます。でも大阪じゃなくても、どこでもその土地に対して愛のある人がいて、せわしなくなくて流されない環境だったらいいのかなと。

伊島 大阪のファッション業界って意味でいうと、他にもそれなりにデザイナーの人がいたりブランドも結構あるってことだよね。

牛田 僕は小さいコミュニティにいるんでわからないですけど、でもいっぱいいるんだと思います。今は自分が必死過ぎて、忙しすぎて周りを見てる余裕がないですね(笑)。

伊島 それでいいよね。オリジナルなものを作って産んでいれば。

「これけっこういいんじゃないかな」って思ってネットで調べたら、

ごりごりコムデギャルソンがやってた(笑)

牛田 そうですね。見たら影響されちゃうかもしんないし、いい影響だったらいいけど落ち込むかもしれない。でも見なさ過ぎて今期のものとかでいうと、例えば自分の中で面白いと思うデザインのジャケットを思いついて「これけっこういいんじゃないかな」って思ってネットで調べたら、ごりごりコムデギャルソンが過去に作っていたとか(笑)。「そうなんだ、あるよなやっぱり」ってなる。ギャルソンってスゲーなって。そんなことの連続ですよ。思いつたことはリサーチしないと、天然でこういう変なことやってちゃいけないってことをやっちゃうから。リサーチはどういう仕事においても大事だなって思ってます。

伊島 順番としては今みたいに自分で思いついてやってみて、他にもやってる人がいるのかなって調べてみたら「あったんだ」みたいに、先に全部勉強して知っちゃうよりも、今のその順番のほうが絶対いいと思うけど。

牛田 それはホントにそう思います。自分の頭で絞り出した一滴を、仮に誰かがやってたとしても、自分で生み出したことなんだし、自信を持って「被ることだってあるよ」と思えばいい。順序が違うだけで、見え方とか伝わり方は変わると信じてるから、もしかしたら同じことをやってる人がいるかもしれないけど、自分の頭で生み出したんだから「まぁいいか」って。それをあーだ、こーだと言われても(笑)。

伊島 それをそのままやるにしても、人がやってるんだったらといってやめるにしても、どっちにしても自分の気持ちに従えばいいよね。

牛田 ちゃんと自分に正直にやってるかどうかってところだけが重要で。さすがにそれはできない、やっちゃいけない、それはタブーだろってことはもちろんやらないけど、こんなことで被るのはしょうがないよなってことなら(笑)。

ふんわりテーマが一緒で、まぁまぁ落ち込んで(笑)

牛田 僕のブランド“rajabrooke”っていうのは蝶の名前なんですけど、いずれラジャブルックとは別のブランドでお店をやるんだったら、次は花とか植物の名前がいいかなと思っていて、それで東南アジアの植物を調べていて、ウツボカズラっていう、フタが開いて虫をパクっと食べちゃう食虫植物がいいなって思って、そのマレー語を調べたら響きが可愛いくて面白いし、向こうの言葉だから馴染みもあって覚えやすいかなって数年前に思ったんですよ。ちなみにこれ英語でなんて言うんだろうって調べたらNEPENTHESって出てきたんですよ。それで「えっ?NEPENTHESってウツボカズラなの?」ってなって。“NEPENTHES”(ネペンテス)というブランドがあって、ロゴもウツボカズラのツタがクルンってなってるやつで。大阪の靭公園っていうところに店があるんですけど、見てみたら熱帯雨林植物だらけだったんです。その“NEPENTHES”のブランドの中に“NEEDLES”(ニードルス)ってブランドがあって、そのマークが蝶々なんです。マレーシアっていうテーマがピンポイントで一緒ってわけじゃないけど、ふんわりテーマが同じような感じなのかなと思って。こっちは足元にも及んでないんですけど、まぁまぁ落ち込んで(笑)。自分的にはかなり考えて、植物から絞っていって「ウツボカズラ、これだ!絶対これだ!運命だ!」って感じでいたら、“NEPENTHES”ってあったんだって。気になってお店に行って見てみたら「うわ〜かっこいいな〜」って、尊敬しちゃいました(笑)。あらためて日本のブランドの凄さも思い知らされたり。しかも“NEPENTHES”ってブランドは僕が生まれる前くらいからあって、めちゃくちゃ昔から自分が思ってるようなことをやってる日本を代表するようなブランドだし「大丈夫かなこれっ?」て思ったけど「自分のルーツなんだからそれはそれで仕方ないよな」って思うことにしました(笑)。

ここで言うのもなんですけど、人前で喋るの苦手なんです

伊島 ほかになにか喋り足りないことある?

牛田 喋り足りないことですか?おしゃべりだとはよく言われるけど、こういう場で「あともう一つ喋っていいですか?」なんて、あっても恥ずかしくて(笑)。

伊島 じゃあ写真撮りながらしゃべろうか。

牛田 フィルムですか?デジタルですか?

伊島 デジタルです。

牛田 昔カメラも趣味でやってたんですよね。ほんとに趣味中の趣味ですけど、写真展も一回やったことあるんです。なにになりたいか迷ってたんですよね。

伊島 いろいろやってたんだね。

牛田 しゃべってる時、手を口に近づけたら入れ墨とかも見えるんですけど、隠したほうがいいですか?

伊島 僕は、出しててもらった方がいいけど。

牛田 変なヤツって思われないですかね?

伊島 大丈夫でしょ、デザイナーなんだから(笑)。大丈夫ですよ。

牛田 いまさら言うのもなんですけど、人前で喋るの苦手なんです。昔から人前に出たりステージとかに立つと緊張して、脇汗びっちょりになるんです。近所に店舗兼オフィスがあって、店舗は僕と同い年の友達がやってるところに間借りでデスク借りてるんで、そこでも撮ってもらっていいですか。それと、バイク撮りたいです。だっせぇバイクなんですけど、愛車なんでキャラにして行きたいと思ってるので(笑)。

伊島 ぜひぜひ。事務所はどの辺?

牛田 すぐそこなんですけど、先輩のブランド兼事務所のデスクをひとコマ借りてるだけで、最近はけっこう家にいます。みんなといると楽しくて、おしゃべりやさんだから喋っちゃって、仕事の効率が悪くなっちゃうんで。家で仕事して、今日はもういいかなって時に事務所行くようにしてます。タバコ吸いに行きがてらちょっと業務やるみたいな。大事なことは家でやんないと、ホント集中力ないんで(笑)。

Store:COFLO Staff:Kentaro

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