0004_20_05_08 大槻光明 Otsuki Timo Mitsuaki

0004大槻光明

見た目の通り穏やかで心やさしいドイツと日本のハーフ。アニメやゲームなど日本の文化、特に日本語の魅力に心酔し、ドイツと日本を行き来しながら両国の持つ共通点と差異を肌で感じながら成長。お互いの持つ良い面と問題点のどちらも同等に理解し、家族を含む自身の立ち位置から日本の将来に期待と希望と抱いている映像系の会社役員。

伊島薫

小さいころから日本のお菓子や漫画やゲームが好きだった

伊島     まず、お名前をお願いします。

Timo    名前がですね、日本名が大槻光明というんですけれども、ドイツ名がTimo Stary(ティモ・スターリー)と申します。

伊島     『大槻光明』と『ティモ・スターリー』?全然ちがうね(笑)別人みたいじゃないですか。

Timo    そうなんですよ。これ不思議で、なんでこうなったかよくわからない。これほど名前が違う人って周りにいないですよ。パスポートも写真以外は別人みたいで(笑)よく審査に通ったなって思います。

伊島     すごいね、そういうことあるんだね。

Timo    たぶん今はできないと思いますけどね。当時は少し緩かったんではないかなと推測します。

伊島     今おいくつですか?

Timo    昭和52年、西暦1977年の10月30日生まれの42歳です。(2022年1月現在44歳)

伊島     どこで生まれて、どこで育ったんですか?

Timo    生まれは東京で、6歳まで東京に住んでいました。父が駐在員で日本で働いていて、仕事の都合で家族でドイツに移ることになり、6歳から19歳までをドイツで過ごして、19歳から今まで日本にいます。

伊島     19歳で日本に戻ってきたのはどういう理由で?

Timo    もともと1~2年に一度、夏休みを利用して日本の親戚に会いにきていたんですね。ドイツの夏休みは結構長くて、よく2ヶ月近く日本で過ごしていました。最初の頃はおじいちゃんとおばあちゃんが九州に住んでいたので福岡にいたんですけど、途中から東京に滞在するようになりました。小さいころから日本のお菓子や漫画やゲームが好きだったので、思春期に入るとそういう文化が身近にある東京の魅力に惹かれましたね。日本で夏休みを過ごしてドイツに帰ったらもう来年が楽しみでしょうがないぐらいだったんで、高校を卒業したら日本に住みたいとずっと思っていました。

なぜ19歳だったかというと、当時ドイツの学校は小学校が4年生まで、中学が5年から10年生、高校が13年生まであったんですよ。ヨーロッパの他の国と比べても1年長いんです。それと、ドイツって大学の入試試験がなくて、高校卒業の成績と希望する大学と学部の倍率で入学できるか決まるんです。高校さえ卒業していれば、倍率の問題などはありますけど、いつでも大学に入れるので、ドイツに戻って大学に行ける状況さえ自分で作れば親が日本への片道チケットを買ってくれる約束だったので、高校を卒業して19歳で日本に引っ越しました。最初は日本の大学に行こうかと思って2、3校見に行ったんですけど、学費を知って考え直しました。当時のドイツは大学がタダだったし、うちはあまり裕福な家庭ではなかったので、本当に大学で勉強したくなったらドイツに帰って進学すればいいかなと思って、そのまま就職することにしました。

伊島 お母さんが日本人ということですね。

Timo そうです。

伊島     ドイツの高校を出て、日本に来てそのまま就職?

Timo    いや、6月末にドイツの高校の卒業式が終わってすぐ日本に引っ越したけど、最初の3ヶ月くらいはアルバイトしながらダラダラしてましたね。まあ、それも3ヶ月だけでしたけど、周りには大丈夫かとか言われてました(笑)

伊島     どこに就職したんですか?

Timo    知り合いはほとんどいなかったのですが、母の姉が小さな芸能プロダクションをやっていて、そこがお世話になっているキャスティング会社の紹介で、モデル事務所のマネジメントをやっていました。

伊島     なるほど。お母さんが日本語を喋るから日本語はできて、ドイツの人だから大体英語も喋れるから、そういう仕事にはもってこいって感じなわけですね。

Timo    ただね、当時は英語を喋れなかったんですよ。すごい苦手で、東京で外国人に道を聞かれたりしても、喋れないフリしてましたね、最初は(笑)

伊島     ドイツの人ってたいてい英語も喋れるっていう印象があるんだけど。

Timo    間違いないと思います。大概の人は喋れます。英語は日本に来てから勉強しましたね。

伊島     学校で勉強したんですか?

Timo    昔から映画が好きだったんですけど、ドイツでは海外映画は全部吹き替えなんですよ。でも日本で洋画の日本語字幕版を観るようになって役者さんの生の声に触れているうちに、ちゃんとセリフを理解したいと思うようになりました。好きな洋楽を聞いて、歌詞の意味を知りたいと思うみたいに。7、8年ぐらいかかりましたけど、英語は音楽や映画で覚えました。

伊島     かっこいい!自力でやったってところがすごいよね。

Timo    ドイツ語がある程度できていたので、たぶんそれで助かった部分は結構あると思います。

普段使う言語は日本語、英語、ドイツ語の順ですね。日本にいたドイツ人の友人のほとんどがドイツに戻っちゃったので、ドイツ語を使う機会が減ってしまいました。母に会いにたまにドイツに行った時くらいですかね。

トマトっていうイギリスでめちゃくちゃ流行っていたクリエイティブ集団に憧れていたんです

伊島     お父さんはドイツのどこ出身なの?

Timo    レーダ=ヴィーデンブリュックっていう地域の小さな村の出身です。おじいちゃんや親戚もそこに住んでいたので、家族でドイツに戻った時もそこに住みました。父はもともとエンジニアで、鉄とかを製造するドイツ企業の東京支社長でした。

伊島     お母さんとお父さんは東京で知り合ったということですね。

モデルのマネージメント会社ではどれくらい働いていらっしゃったんですか?

Timo    3年ですね。小さな事務所で、マネージャーが2人、ブッキングが1人、僕が外回りの営業でした。当時は敬語も使えなくてボキャブラリーも少なかったのに、そのキャラを生かして来いと社長に言われて、モデルの資料を持ってキャスティング会社をずっと回ったりしていました。社長と一緒に新人のモデルさんを育てるために写真の作品集を作るプロデュースとかにも携わっているうちに、物づくりが楽しくなってきました。当時、トマトっていうイギリスでめちゃくちゃ流行っていたクリエイティブ集団に憧れていたんです。友人たちと日本で似たような事をできないかとずっと話を温めているうちに、現代美術と建築をやっていた子と、建築系が一人と、グラフィックデザイナー/プログラミング系と、グラフィックデザインに憧れていた僕を含めた5人で何かをスタートしてみようとなり、そのタイミングで会社を辞めました。いろいろ説明すると長くなるんですけれども、そのチームでの活動は6〜7年間やってましたね。

伊島     それはそれで、ちゃんと仕事になったんですか?

Timo    なるべく5人全員で一緒に何かを作ろうっていう話をしていたんですけれども、大半が個人プロジェクトでしたね。成り立ってた人と成り立っていない人の差はあって、僕の場合は結構遅れて独学でグラフィックデザインを覚えたりしていたのであまり成り立ってなかったです。グラフィックデザインである程度の収入はあって、自分でイベントを開催したり、翻訳とか通訳のアルバイトをしたり、バーでバイトしたりして繋ぎとめてましたね。

当時は夢を見てるだけでダラダラしてたのかな…。会社勤めの経験も3年だけだったんで、もう一度就職した方がいいのかなあと思っても、じゃあ何がしたいんだ、と。グラフィックデザインの会社に入社して一から下積みするのもなんか違うなと悩んでいたら、モデル事務所の営業時代に仲良くなった人が映像制作会社に転職していて、そこの社長に紹介してくれたんです。 もともと映画や映像が好きだったし、その頃は英語もちょっと喋れるようになってたので、社長に気に入ってもらえてすぐそこに就職できました。

10数名ぐらいの小さな広告制作会社だったんですけれども、そこが映像業界への入り口になりました。 そこには1年いたんですけど、プロダクション・マネージャーをやりながらグラフィクデザインを捨てきれずにいて、やりたいことが分からない中途半端さもあったので会社との話し合いの末、辞めました。

それからは当時の広告業界で注目を集めていた『shots』っていうイギリス発のDVDマガジンの代理店で1年働いたり、2ヶ月間映画の撮影現場の仕事をしたり、いろんな小さなところを転々としていました。一回は大手に行ってみたいなと思いたところにたまたま東北新社の偉い人を紹介していただいたら僕のことを気に入ってくださって、国際部の人手が足りてないという事で面接を受けて就職しました。 東北新社には6年いて、かなりいい経験ができたと思っています。仕事はすごく好きだったんですけど、後半になってまた自分のステップアップに限界を感じてしまいました。日本で映像編集会社を立ち上げようとしていたアメリカの会社に声をかけてもらい、成功するかどうか五分五分だと思ってはいたんですけども、いいチャレンジになりそうだと思い、そこに転職して6年いました。今は広告映像の制作会社にいます。映像に関わるようになってからずっとこの業界です。

 

当時はそういうゲーム機がまだドイツになかったので、そのおかげで結構いじめが減りました(笑)

伊島     ちょっとミックスの話に戻りたいんですけど、日本で生まれて6歳までいたわけですよね。 日本にいた時とドイツにいた時で、風当たりとか、周りの人の接し方に違いはありましたか?

Timo    そうですね、6歳までは東京ドイツ学校のプリスクールや幼稚園に行ってました。 周りにもミックスや純ドイツ人がいる学校だったんですけど、僕の父があまり家に帰ってくる人ではなかったんで、当時の僕はドイツ語が喋れなかったんですよ。 幼稚園でもずっと日本語しか喋ってなくて、同じミックスの子とだけ仲良くなっていたかな。その仲が良かった子たちも数人しか覚えてなくて、6歳までの記憶はあまり残っていないです。ドイツに移ってからの記憶も曖昧で、どうやってドイツ語を覚えたのかも全く覚えてないです。引越しが嫌だったかどうかすらも覚えてないんですよね。 自分で記憶を閉じ込めてるのかもしれないんですけれども。

ドイツでは「アジア人」として見られていました。田舎だったので、日本という国を知らない子もいて、アジアって中国だよね、っていうレベルでしたね。ドイツって人種をネタにするジョークが多かったりするんです。トルコ人ジョークはよく聞くし、ひどいユダヤ人ジョークもあったり。日本人をいじるジョークはなかったですけど、中国人ジョークはあって、そういうのでいじめられたことはかなり多かったです。 だから嫌だった記憶は結構すごくありますね。 しばらく経つとそういうのはなくなりましたけど、小学校の時のいい思い出があまりないですね。

伊島     やっぱり国の違いは関係なく、いじめはどこにでもあるんですね。

Timo    当時からドイツは移民が多かったので、小学校にも韓国人が1人、スペイン人が2人いましたし、トルコ人も2、3人いました。 いろんな人種の人がいても、やっぱりいじめられるのは外国人が多かったかもしれないですね。 僕の場合は中学校から変化があって、日本で買ってもらったロボットのおもちゃとかを、家に遊びに来た友達が学校でその話を広めたんですね。そういう日本のおもちゃがウケたおかげでいじめはちょっと減りました。小学校6年生の時にはファミコンを日本から持ち帰ったんですけど、当時はそういうゲーム機がまだドイツになかったので、モノで釣ったって言ったら変ですけど、そのおかげで結構いじめが減りました(笑)

伊島     当時は日本人の友達はいたんですか?

Timo    日本人なんて何キロも離れた場所に行かないと会えないような地域だったんです。仲がいい友達というのも最初の頃はいなくて、小学5年生で始めてドイツ人の子と親友っぽくなれた。 その後、1年上のクラスのアジア人に勇気を振り絞って日本人ですかって聞いたら香港人だって言われたけど、その子とも結構仲良くなれました。今でもたまに連絡をとっています。ドイツ時代は本当に友達が少なかったです。本当に仲のいい友達は2、3人でした。

伊島     なるほどね。もう日本に20年以上いらっしゃるわけですけど、日本は好きですか。

Timo    はい。

伊島     どういうところが好きですか?

Timo    ちゃんと分析したことはないんですけれども、人ですね。 日本人が好きです。それと日本語が好きです。 ドイツ語、英語、日本語と、喋っている言語で若干性格が変わるんです、僕。性格が変わるというよりは、表現する言葉によって性格が変わるように感じています。

ドイツのブラックユーモアって、アメリカのそれに近いんですよね。 人種とかに限らず、なんか人を見下して笑いをとる、みたいな。それに比べて日本語ってくだらないことで笑顔になったり笑えたりすることが多くて、日本語で友人と喋ってる時って本当にすごく楽しいんですよね。笑顔も多くなると思います。 やはり言葉に豊かさがあるのかな。ドイツ語は結構固いんで、面白い時は面白いですけれども、日本語で喋ってる時の方が幸せを感じますね。

伊島     なんかいい話だな。 周りの友達にもミックスの人が多いんですか。

Timo    今は少なくなってきましたけど、前は結構いましたね。東京ドイツ学校つながりの先輩や後輩とか、大人になってから出会ったアメリカンスクール出身の友人とか。ただ、さっきも話した通り、母国に帰っちゃった人や、日本が住みづらいとか、キャリアのためとかいう事情で海外に行った人も結構いるんですよ。

伊島     日本は住みづらいって感じてる人も多いの?

Timo    日本が住みづらいって言う人は、だいたいが会社の制度とか、社会人として感じたみたいですね。 インターナショナルスクールから日本の社会に出ると、先輩後輩の上下関係の文化に馴染めなかったり、実力はあるのに評価されないと感じる人が多いような気はします。

日本に引っ越してきて、アルバイトを探していた時はほとんど面接で落ちたんですよ

伊島     そうかあ。他に何か日本が好きな理由って思いつきます?

Timo    大人になってから思ったことなんですけれども、 文化的なものってマス向けとアンダーグラウンド的な世界があるじゃないですか。日本の音楽で言えばジャニーズ系とかAKBとか、いわゆるマスの音楽がありつつ、結構しっかりと相反して、間をすっ飛ばすぐらいアンダーグラウンドの要素がすごく強い世界があるなって思ってるんです。映画も建築も、全てにおいてそうだと思うんですよね。本当に素晴らしい建築がありながらも、全部同じようにしか見えないビルがたくさん並んでいる。そんなふうに両極端に強いというか、相反しているところが実は面白い要素なんではないかなあと思ったりします。 料理でも、すごい高級料理もあれば、B級グルメだってすごいじゃないですか。 これほど相反して両立してるところ、海外にもあるにはありますけど、日本ほど強く両立してるとこってあんまないと思うんですよね。 大人になってから特にそこが魅力と感じるようになりましたね。

伊島     逆に嫌なところは?

Timo    嫌なところは、友人たちがみんな海外に行っちゃった理由の一つかもしれないですけど、思ってることを素直に言えない空気感って結構あると思うんですよね。 ドイツとかアメリカの会社にいた時を思い出すと、なぜか分からないんですけれど、思ってることがもうちょっと言いやすかった。これはもしかしたら人ではなく、言葉の問題というか、言葉が文化を生んでいるのかもしれないんですけど、それをしづらい空気感はあるなと思います。

僕は自分ではもうちょっと外国人になりたいと思うぐらい、実はすごい日本人なんじゃないかなって思ってるんですけど、英語とかドイツ語を喋ってるときの方がもっと素直になれてると思うんですよね。でもそれはもしかしたら言葉じゃないかもしれない。深く考えたことはないですけれど、やはりそういうところですかね。仕事でも、こんなキャラなのでお客さんと接してる時もなるべくフランクでいると思うんですけど、それでも実はすごい遠慮がちになってしまっていたり。必要以上のことは言っちゃいけないのかな、って。

あとは細かく言えば、いろいろ社会のこととか。僕はドイツを離れてからもドイツのいいところが結構見えていて。例えばエコに関することであったり、差別問題も多いとはいえ、もうちょっとオープンな部分があると思います。それでも日本がやっぱり好きなんですけど、引っ越そうとは思わないですね。

僕が日本に引っ越してきた時、差別…って言っていいのか分からないですけど、アルバイトを探していた時はほとんど面接で落ちたんですよ。 日本で育ってないっていうことが理由で。最初の3年間は千葉に住んでいたんですけど、バイトの面接はほぼ全部落ちて、唯一見つかったのが、工場でパンを焼くバイトとか、工事現場だったりとか。人目につかないバイトですね。

アパート探しも結構大変でしたね。保証人が必要な物件は全部落ちて、おばあちゃんの名前を出しても、年金受給者だからダメだったり。東京に出てきたときに見つけた物件はオーナーさんから面接をしたいと言われて、毎月現金払いであればいいよということでしたが、そのあとも住まい探しに関しては、結構大変な思いをしました。携帯1台契約するのも大変だったんですけど、あれは差別ではなく、制度の問題だったかもしれないですね。

伊島     でもどうしてだろうね。日本のパスポートも日本国籍も持っているわけだよね。

Timo    多分、日本での社会経験がないのが理由だったかもしれないですね。

伊島     要するに日本でずっと生活してなかった、っていうか生い立ちそのものを問題視されたということ?

Timo    そうですね。 でもそれは最初の頃だけで、今では逆に強みになる部分でもあったりします。それでもやっぱり大変でしたね。

伊島     僕たちが気付かないところでいろいろあるもんですね。

Timo    僕よりもっと大変な思いをいっぱいしてる知り合いの外国人もいるんで、それで日本を嫌いになっちゃう人も結構いて、もったいないなと思うことは多々あります。

似た国同士、お互い見習えるところを見習えたらいいなと思いますね

 伊島     今コロナで日本も大変なことになってますけど、毎日どういうふうになさってますか。

Timo    結構バタバタしてます。 非常事態宣言が明けてからのタイミングや、秋に動く予定のプロジェクトの準備もあるんですけれど、たぶん同じように戻ったりはしないと思うので、明けて何ができるかって話はよくしています。

先行きが見えないことも結構多いですけど、できる範囲で準備に取り掛かっていると、前と変わらない忙しさで時間が過ぎてしまっています。非常事態宣言が出てからもう1ヶ月経っていますけど、まだまだやることに追いついていないので。やることがある幸せを感じながら「ちょっと休みたいなー」って気持ちで過ごしています(笑)お金が生まれない忙しさってすごく複雑だと思うんですよね。大事なんだけど見えづらいんで。

伊島     ドイツなんかは、日本とかなり違うというか、真逆の対応をしてたりするじゃないですか。 そういう違いについてはどういうふうに感じてますか。

Timo    悔しい気持ちが大きいですね。日本が大好きなのに、政府の対応とかに満足していないどころか「こりゃダメだなー」って感じることが多くて。ただ、こういう言い方はちょっと間違っているかもしれないですけど、日本人の気質ってこういう事態に適しているんじゃないかなと。もともと清潔感があったり、インフルエンザの季節にマスクをしたりする文化じゃないですか。今回の非常事態宣言はいわゆる「要請」じゃないですか。足りていないと思いつつも、もしドイツで感染者が出ている中でドイツ政府が同じレベルの対応をしていたら、多分もっとひどいことになっていると思うんです。 やはり自分が大好きな日本人の良さみたいなのが出ているなと思いつつも、政治的なレベルでいうと、やっぱりドイツがちょっと立派すぎて羨ましい感じはありますね。

なにが悔しいかというと、ドイツ人と日本人の気質って結構似てるって言われるんですよ。 真面目であるとか、もともと職人文化だとか、本当に似ているところが多くあるんです。第二次世界大戦で一緒に組んだけどどっちも負けてから、それぞれ違う歩み方をしている。 その違いは何だったんだろうなってたまに考えるんですけど、その違いが今回のコロナで大きく出ていると感じます。日本は戦後しばらくアメリカに占領されていたのが大きな原因なのかな。ドイツはロシア、イギリス、フランス、アメリカによって4分割されて、それから西ドイツができて、西と東がまた一緒になったりとか、そんなプロセスがあった歴史が関係するのかは分からないですけれど、コロナの対応に関しては、世界的に見ても一番立派な判断をしているんではないかなと思っちゃいます。

伊島     戦後の処理にしても、ドイツはスパッと悪いことは悪かったって認めて、補償もちゃんと出したけど、日本は悪かったような悪くなかったような感じで曖昧にお茶を濁してきたところがあるように、なんか常に曖昧さが現れるっていうか。その曖昧に済ますところの良さと弊害みたいなものが常に同居してますよね。

Timo    そうですね。 悔しいだけなんですよね。それでも好きな部分の方が多いので、うまく付き合っていくしかないって覚悟の気持ちで日本に住んでいます。ただ、せっかくなんでね、そういう似た国同士、お互い見習えるところを見習えたらいいなと思いますね。

伊島     よく考えてみたら、日本とドイツってぱっと見、すごく交流しているって感じはしないですよね。 実は僕も2000年ぐらいから毎年のようにドイツで展覧会をやったりしていた時期があったんですけど、ここ最近はドイツに行くこともなくなってきています。言葉でも、英語とかフランス語は日本語の中にいっぱい入ってきてるのに、日本でドイツ語を使う機会なんてほとんどない。

Timo    そうなんですよね。 その昔、唯一入ってきたのが医学用語で、カルテも全部ドイツ語でした。それも今は英語に変わったって聞いてますけど。 戦争でどっちの国も悪いことしたんでしょうがないんですけれども、あんまり深い交流できなかったのも、もしかしたらそういう歴史があったからかもしれないですね。 でも、職人文化もあって車のメーカーで世界に広がったのがドイツ車と日本車が多かったりするじゃないですか。なんかもったいないなあと思いますね。

伊島     いろいろ面白い話をありがとうございます。ところで、結婚とかお子さんとかは?

Timo    はい、日本人の妻と子供が2人います。

伊島     そうするとお子さんはクオーターになるわけですね。

Timo    4分の1ドイツ人ですね。

伊島     その子たちが大きくなって結婚して子どもができたら、またその半分になっていうことですね。

Timo    そうですね。相手方によりますけども。

伊島     また別のルーツが混じったりとかね。 楽しいですね。

Timo    楽しいと思います。

オタクって別に悪い言葉じゃないし、1回突き詰めるとすごい気質がある文化だと思うんです

 伊島     最後に、さっき少しおっしゃってましたけど、コロナの状況が収束したらまず何をしたいですか。仕事でも家庭のことでも。

Timo    ドイツの母に会いに行きたいと思っています。いつになるかちょっと分からないですけれど、子供がまだ3歳と1歳なんですよ。 1歳の子は結構ちっちゃい頃、去年の夏に会わせているんですけれど、もともと1年に1回しか会わせられなくて。子供の成長って早いじゃないですか。そう考えると、 もうちょっと会わせたいなって思いますね。

伊島     そうか、海外に渡航できないっていうか、今は向こうが受け入れてくれないか。

Timo    そうですね。入国したら2週間の隔離があるし、ドイツから日本に戻った時もまた2週間隔離なので、それだけで1ヶ月が終わっちゃう。それじゃさすがに会いに行けないので、もし今年の後半頃に渡航が問題なくできるようになるのであれば、すぐに会わせたいですね。 これまで年に1回くらいは国内や海外を旅行していたので、子供にもどっか違う場所を経験してほしいっていう気持ちもあります。

伊島     日本の良さが言葉っていう話や、お子さんたちにいろんな国を見せたいって話がありましたけど、 海外に行かなきゃ日本の良さが分からないって思っている日本人に対して、日本の良さをを伝えることであらためて感じてもらえることもあると思うんです。日本特有の文化で、海外からみたらすごいって思うことって他にもありますか?

Timo    言葉も本当にすごく素晴らしいと思うんですけど、あえて言うなら、日本って結構オタク文化があるじゃないですか。もともと自分がオタクだったからってわけではないんですけど、オタクって別に悪い言葉じゃないし、1回突き詰めるとすごい気質がある文化だと思うんです。それは料理やものづくりの文化にも表れているし、ファッションだってとことん突き詰めているようなところがすごくいいなと思っていて。あるリサーチをしていた仲のいいミックスの友人から聞いたんですけど、日本ってレコードの数が世界一多い国らしいんです。それって言ってしまえばある意味オタク文化じゃないですか。

伊島 デニムの数も日本が一番って言いますもんね。

Timo    昔リーバイスが流行った時の赤タブとか、海外より日本で大切にされている場合が多いし、日本の美容師とかも世界では結構トップレベルらしいですね。 そういうのも結局突き詰めてるからこそ、レベルが高いんだと思うんですよね。 DNAなのか文化なのか、または両方ではないかと思うのですが。僕が大好きな漫画ももっと海外で評価されてもいいと思いますし、そういう職人気質的なところは海外の人だけじゃなく、日本人にももっと知ってほしいなと思います。

伊島     漫画の話をすると、いわゆるアメコミって基本的に二元論なイメージがあって、正義と悪、白か黒かってはっきりしたものがまずベースにあると思うんです。日本の漫画ってあまりそうじゃなく、敵にもいいところがあったり、完全に二元論じゃないストーリーを含む、いろんな角度から思考する話作りに惹かれるのか、それとも作画のクオリティであったりとか、ティモさんは日本の漫画のどういう部分に惹かれて、どういう形で世界に浸透していったと思いますか。

Timo    ストーリー性と作画クオリティの両方に惹かれます。さっきの話みたいに日本人って空気を読んでものごと言えないとか、我慢していることが多いと思うんですよね。その反動で違うものが生まれやすいと僕は勝手に解釈しているんですけど。そういう状況下で出来上がるものって、海外の人からするとちょっと異常だったりすると思うんですよ。日本はアニメもホラーもナイトライフもちょっと一線を越えていて、だから両極端に成り立っているのかなと思ってます。どこかで我慢している部分があるからこそ想像力が豊かになるのかな。クリエイティビティでは他の国が敵わないくらいすごいんだから、日本人が言葉の壁を越えられれば、それがもっとあらわになって大きくなると思うんですけど。漫画や映画以外にも建築や写真や映画もすごくポテンシャルがあると思ってます。白と黒がハッキリわかれた視点と比べると、「間」を表現するのが得意なのは、日本語の言葉にも表れていると思うんです。以前なにかで読んだんですけど、日本語は世界で一番色の名前が多い言語だとか、雨を表現する言葉が一番多い国だとか。全てに名前がなければいけないとも思わないですけど、なんか夢がありますよね。 そういうところが結構、表現力にも繋がってたりするんじゃないかな。隙間の中でなにかを広げて表現するって、僕は得意じゃないですけれども、すごく憧れますね。

伊島     子供の時、日本にちょいちょい戻ってきてた時って日本人の子供とか、親戚の子供とかと会ったりしてたの?

Timo    最初の頃は歳の離れた従兄弟などと会っていたけど、買ってもらった漫画やゲームを持って母と一緒にいろいろな所を回ることが多かったですね。高校生の時に1歳上のハトコと始めて会って、当時流行っていた雑誌やアイドルや音楽や漫画とかを教えてもらいながらよく彼とつるんでいました。

もし日本じゃない国に行っていたら、多分今でもオタクだったかもしれない

伊島     話を聞いてるとティモはドイツに馴染まなかったのかなという感じもするし、ドイツでも日本の良さというか自分の良さを貫いたから友達があまりできなかった、あるいは作る気がなかったのかな。

Timo    ひとつには、ずっとオタクでちょっとひきこもりなところもあって、例えば友達が誘いに来てくれても、ゲームしてる方が時間の有効活用だみたいなアホのようなことをしていて。コンプレックスも結構あったけど、高校生にもなればモテたいと思うじゃないですか。日本はそれを優しく受け入れてくれたんですよね。今も少しそんなところがありますけど、人と喋ることや会話を始めることがあまりできなかった自分が、日本に行くと「ハーフ」ってだけで優しく会話を振ってもらえたり質問してくれたりとか、自分から会話を始めなくても成り立つ心地よさみたいなものにちょっと甘えていた部分はあると思います。異常にモテたわけではないけど、ドイツではありえない状況が心地よかった。当時は服のセンスも本当にひどかったんですけど、それも日本の従兄弟たちのファッションを真似したりして、自分が意識していなかった部分を意識させてくれるきっかけになったし、ハトコの友人に紹介されたりすることで初めて友達ができやすいというか、知らない人と仲良くなりやすい環境を経験しました。

自分のオタクな部分というか、ちょっとネクラな部分が徐々に緩和された経験もあって、僕にとって日本はいい逃げ場だったんですね。ただ興味本位で僕について色々聞いてくれただけでも、当時はちょっと優しさを感じたというか。あんまり話せないならこっちから質問してあげようとか、話を振ってあげようとかっていう人が結構いてくれたおかげで、人が苦手な部分がどんどん直っていきました。日本人はちょっとおせっかいだとかいうけど、僕の場合はそれにすごく助けられた気がします。

伊島     この前インタビューした太田莉菜ちゃんも幼少期を日本とロシアを行ったり来たりしてたけど、彼女の場合は逆にロシア人の子に関心を持ってもらえて、ロシアの日本人学校で疎外感や迫害を受けていたって話をしていたんです。ティモの話と比べるとちょっと面白いな。

Timo    ドイツ人も優しくはしてくれたんだけど、なぜか自分が馴染めなかったんです。当時より今の方が馴染めると思う。本当に僕は半分日本人でラッキーだと思っていて、もし日本じゃない国に行っていたら、多分今でもオタクだったかもしれない。もちろんそれが悪いとは思わないけど、ここまでオープンな性格にはなれなかったと思います。今の自分に100%満足はしていないけれど、自分のことが嫌いではないのも、日本に来ていろんな人と仲良くなれたり、昔の自分がなれなかった自分に今なれているのをあらためて実感してます。

伊島     話を聞いていてそれはすごい感じる。年齢のタイミングもあったかもね。

Timo    それも確かにあるかもしれないです。子どものころから日本とドイツを行ったり来たりできたからこそ、本当に日本が好きになれたと思うんですよね。 今はドイツも結構好きなんですけれど、19歳の頃まではドイツが嫌いで、日本が好きすぎて正義って感じていたんですけど。日本で嫌なこともいろいろあったけれど、それでもこれからも住みたいと思っているわけですし。

僕の知り合いのミックスの人は日本がすごく好きだけど、仕事とか社会的な面であまり居心地が良くなくて海外に行ってしまいました。でもみんな、本当はできれば日本に住みたいと思っているんですよ。海外の方が楽だと感じる友人たちに日本に戻って来てほしいので、日本にはもっと良くなってほしいって思いがありますね。 かなり自己中心的な話ですけれども。

伊島 今日は面白い話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。

Timo    こちらこそ、ありがとうございました。

 

 

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