0003_20_05_08 キニマンス塚本ニキ Nikki Tsukamoto Kininmonth

0003キニマンス塚本ニキ

私が作品のモデルを探していた時に美術モデルの派遣会社に紹介してもらったのが最初の出会い。その「あなたは美しい」をいう作品は人の身体を高精細な画像で10メートル近くまで拡大して展示するというもので、皮膚の毛穴や皺、細かな傷跡までつぶさに観察できるというそんな作品のモデルをためらうことなく引き受けてくれた。このインタビューの後、TBSラジオの「アシタノカレッジ」という番組のパーソナリティとしてLGBTQ+から政治問題まで常に明るく時には熱く語る、一緒にいてとても楽しい仲間のひとり。

伊島薫

僕が「12時にお願いします。」ってメール送ったら「正午ですね!」って返ってきた(笑)

伊島 ではまず、お名前から教えてください。

ニキ 名前、ですね...一番簡単そうでけっこうややこしい質問です。日本では戸籍上、塚本仁希といいます。仁義の仁に希望の希です。ニュージーランドではNikki Kininmonth、キニマンス・ニキっていうんですね。国籍が二つあるんでどっちも私の正式名ですけど、最近、自分の名前ってなんなんだろうって考えることがあって、今は一応キニマンス塚本ニキと名乗っています。

伊島 なるほど。そこは後でもうちょっと詳しく聞きたいと思います。生年月日は?

ニキ 昭和60年9月20日です。

伊島 どこで生まれてどこで育ちましたか?

ニキ 生まれは東京の板橋区で、9歳まで練馬区で育ちました。そこから家族でニュージーランドに移住して、大学卒業後までずっとニュージーランドにいました。

伊島 そのあと日本に戻ってきたんですか?

ニキ 23歳の時に日本にひとりで戻ってきました。大学を卒業して何年か働いていたんですけど、ニュージーランドがなんだか狭く感じ始めていて。海外に行きたいと考えていたんですけど、さしあたり日本に1年ぐらい行ってからどこの国に行きたいか考えようと思ってたら、気が付けばもう13年経っていますね(笑)。

伊島 国籍は、日本で生まれたから日本ってこと?

ニキ いわゆる二重国籍です。二重国籍ってたまに政治家さんの話題などで議論になったりしますけど、決して違法というわけではないんですよね。あくまで日本国内では日本人として生活していますし、戸籍もパスポートも日本のものを使っています。ただ、ニュージーランドに里帰りする時はニュージーランドのパスポートで入国します。どっちの国でも『国民』だけど、あくまで日本では日本人としてしか機能していないので、日本でニュージーランド人のふりをしたりすることは決してありません。それやっちゃったら法的にいろいろ問題になっちゃいますね(笑)。

伊島 ご両親の国籍は?

ニキ 母が日本人で父がニュージーランド人です。

伊島 普段使用している言語は?

ニキ 日本語と英語です。

伊島 職業とこれまでの経歴を教えてください。

ニキ 2011年からフリーランスの英語翻訳・通訳として活動しながら、兼業で美術モデルもしていました。2020年からラジオパーソナリティーという肩書きも増えました。作品撮りはもっとやりたいと思っていますが、最近はちょっと休みぎみですね。 ニュージーランドの大学を卒業したんですけど、向こうではいわゆる就活とか、大学卒業したらすぐ就職っていう文化があまりなくて、私は在学中にバイトしていた英会話スクールや劇場や飲食店のシフトを増やして、フェアトレード雑貨店の副店長として社会問題の啓蒙活動を行なったり、いろんな仕事をかけもちしてました。日本に帰国して最初の2年間もそんな感じで、そこからフリーランスに転身しました。

伊島 将来はどうしたいと考えてますか?

ニキ これからずっと翻訳・通訳一筋で続けるか迷っていたタイミングで、ひょんなところからラジオのお仕事をいただいたわけですが、最初はただ必死に台本を読むしかできなかったぐらいでした。2年目に入ってようやく自分なりのペースや肩の力の抜き方が分かってきたって感じかな。翻訳や通訳はこれからもできるだけ続けていきたいですし、書籍の翻訳にも挑戦したい。最近はコラム執筆などもやらせてもらっているんですが、他人の言葉をただ預かって返すだけじゃなくて、もっと自分の言葉で発信しながら対話力を深めていきたいです。

伊島 23歳までニュージーランドにいたのに、日本語はどうやって習得したの?

ニキ うちの母親がいわゆる教育ママだったんで、公文や進研ゼミを続けていたのが大きいかもしれませんね。9歳まで東京のインターナショナルスクールでアメリカ式の教育を受けていたので、学校では原則英語でした。母と妹とは日本語、父とは英語、というふうに幼少期から日本語と英語を使い分けていました。むかしから本を読むのが好きだったので、日本の親戚から色々送ってもらったり、一時帰国のたびに小説や漫画を買い漁っていました。大学生の時にmixiや日本語のブログを初めたりしていたな。ただ、子どもの頃から「あなたの日本語は訛りがなくてきれいな発音だね」って言われてきたのを間に受けてきたんですけど、ラジオの仕事を始めてから毎日のようにイントネーションをスタッフに訂正されてショックでしたね(笑)活字で読めても会話で使ってこなかった単語とか、人の名前とか、変なところでイントネーションがおかしくなるらしいです。正直凹む事もあるけど、負けん気でなんとか乗り越えています。あれ?「負けん気」のイントネーションってこれで合ってますかね?

伊島 親や兄妹と日本語を話すのは当然だからしゃべれるのは分かるけど、文章を書くのってそれなりに訓練がいるというか、放っておいて上手くなるってわけじゃないと思うんだけど、ニキは文章もかなり上手いからビックリしたんだよね。本好きだったのも大きいと思うけど、どの時点でそんなに勉強したんだろうなって気になってました。

ニキ 文章力に関してはmixiとかブログででつけ始めたのかな。いま読み返したらすごいずさんな文章ですけど(笑)。子どものころから本や漫画で知らない言葉があったらすぐ親に聞きに行ってたし。ところもいっぱいあるまま、翻訳通訳スクールにも通わず、仕事をしながら試行錯誤でスキルを積んでいった感じなんで、クライアントさんに『てにをは』とか基本的なミスを注意されながら穴を埋めていったって感じですかね。改めてふり返ってみると、本当に、ご縁に感謝としか言いようがありません。

伊島 ニキと初めて会う前のメールのやり取りで「12時にお願いします。」って僕が送ったら「正午ですね。」って返ってきたのがとても印象に残ってます(笑)。

 

ニキ 自分からすれば、面白く思われるのが意外というか、それが世間一般の人のツボなのかなと、気づかされます。小学校二年生の頃かな、日本の親戚が集まっているところで私が「ねえねえ、昨夜ねー」って話し始めたらみんなに爆笑された事があって。どうして笑われたのか理解できなかったんですけど、大人たちからしたら子どもらしくない言葉を使ったのがウケたんでしょうね。多分テレビのニュースで覚えた言葉をそのまま使いたかったんでしょう。意味は間違ってないのにTPOにそぐわないというか、違和感を持たせる言葉もあるんだなと学んだ体験として今でも覚えています。やっぱり言葉に強い興味があるんですよね、昔から。

100%異性愛者じゃないんだな、と自分のクィアな部分を認めてあげた

伊島 日本での暮らしで差別とかイジメにあったことはありますか?

ニキ うーんそうですね…小学校の下校中に知らない日本人の子どもたちから「わっ!ガイジンだ!」って言われたこととかはありますね。そういうの、子どもあるあるじゃないですか、特に意味はないけどガイジンがいるからガイジンって叫ぶって。わたしもけっこう気は強かったんで「うるせー!バカヤロー!」なんて言い返したりしてたし(笑)。いじめられたり仲間はずれにされていたとしたら自分がちょっと不思議ちゃんだったからかもしれませんね。それって性格の問題?(笑)

伊島 2017年にLGBTERというウェブマガジンに取材が掲載されていたけど、僕はそれを読んで初めてポリアモリーとかクィアって言葉を知ったんですよ。これについてちょっと説明してもらえますか。

ニキ LGBTERっていうのは、私が横浜レインボーフェスタっていうイベントでボランティアしていた時に知り合った方が運営するオンラインマガジンなんですけど、その人から「もしインタビューに協力してくれる人がいたら教えてね」って連絡をもらったんですよ。で、少し考えたんですけど「わたしでもいいですか」って返事したんですね。 それで自分のセクシュアリティやジェンダーに関する考えを生い立ちの背景と絡めて記事にしてもらったんですけど、自分の属性をクィア、つまり100%異性愛者ではなく100%シスジェンダー(身体的性別と自認ジェンダーが一致する)であるとも言い切れないと自認していると説明しました。その取材を受けるまであまり公言してきたことではなかったんですけど、そういう機会が目の前に現れたことで、それをずっと考えてきたことを世間に向けて発言する機会だと思うことにして、社会的なリスクも覚悟した上でエイヤッて投げてみたんです(笑)。 恋愛とか結婚とかパートナーシップって、二人の間で起きて完結するものと考えるのが一般的ですけど、全員が対等な立場で同意している前提でお互いのニーズを支えあうオープンな関係性をポリアモリーと呼びます。日本語では複数恋愛とも言いますけど、そういう形の恋愛とかパートナーシップの実践もアリなんじゃないのっていうのが以前からの自分の考えでして。そういうパートナーシップをそれまでたくさん実践してきたわけでもないんですが、自分の中でこういうのいいなと望んだ時点で、わたしはポリアモラスという属性になるのかなと考えたわけなんです。

伊島 僕なんかそれ全然ありじゃんって思っちゃうけどね。なかなか同じように思っている相手を見つけるのは難しいかもしれないけど。

ニキ そうなんですよね。自分一人で実現できることではないし。どんな恋愛もそうですけど、真摯なコミュニケーションが不可欠だと思うし、自分なりに誠意を持って全部を伝えようとしても相手に全部は伝わってないってよくあることだし。なんの問題もなく平和的に実践するのは簡単なことではないかもしれませんね(笑)

伊島 昔の日本ではお金持ちの男が妾を持って家を与えて住まわせて通うって結構ある話だったけど、それとはまた違うよね。

ニキ 『源氏物語』みたいなやつですよね。男性が中心の一夫多妻制で、女たちは自分の順番が回ってくるのをけなげに待つ、みたいな。そういうのとはまず違いますね。ポリアモリーって、人の数ほどやり方はあると思います。

伊島 クィアについても調べたんだけど、本来は『ヘンなヤツ』みたいな意味だったんだね。

ニキ (笑)そうですね、クィアって一番最初は性的な言葉ではなく『奇妙』とか『常識の規範から外れている』って意味だったんですけど、『気持ち悪い』の意味合いで同性愛者などのセクシャルマイノリティを攻撃する言葉として使われるようになったんです。異性愛者が『ノーマル』とされていた時代に『変態』とか『アブノーマル』と呼ばれていた人たちがその蔑称を自ら名乗って「私たちはクィアだけど文句ある?」って対抗と団結の言葉として使うようになったんですね。欧米ではLGBTQの人々の平等な扱いを求めるムーブメントが何十年も前から始まっていますが、その流れがようやく日本にも定着してきたと感じています。 わたしが恋愛感情を持ったりするのは基本的に男性なんですけど、男性以外の人も素敵だなと思う気持ちとか、自分の中のそういう願望に気づいた時点で、あ、わたしは100%異性愛者じゃないんだな、と自分のクィアな部分を認めてあげたって感じです。

伊島 ジャンルを問わずに語り始めたら結局みんなどこかでクィアなんじゃないのって思うね。

ニキ まさに。だから伊島さんがMikkusu Magazinをやりたいって話してくれた時もわたしの中に勝手な解釈があって、人種的なミックスだけじゃなくて、価値観とか生き方の選択肢からなにを選んでどう生きるのかも含めて、これからもっとミックスされていくんだろうって想像するんですよね。『年頃になったら異性と恋愛して結婚して子どもを産んで家庭を持つ』みたいな、これまで当たり前とされていたことが、これからはあくまでひとつの選択肢でしかなくなる。 周りから違う存在として見られるのが怖かったりして、自分の本心を認められなかったり、なるべく考えないようにしている人達も世の中にはいると思いますけど、いろんな人にとって生きやすい社会になればいいのになってよく思っています。

伊島 そのLGBTERのインタビューでさ、「ハーフとして生まれたこと自体は嫌じゃなかったけどお父さんが目立つのは嫌だった」って言っていたのが面白かったな。

ニキ うちの父親、もう60過ぎて萎んできている印象はあるけど、当時100キロ超えたプチ巨漢で、声も身体も態度もデカいし、「ハッハッハッ!」って豪快に笑うような、典型的な外人のおっさんだったんですよ(笑)。

伊島 日本にいるとやっぱり目立っていたってことだ。

ニュージーランドでは小学校にも中学校にも時間割がなかったんです

ニキ はっきり覚えてないけど幼稚園か小学校低学年ぐらいの時は、うちは周りと違うんだなって理解するようになりました。うちのパパ、すごくおおらかで自由な人なんですけど、そこはしっかり受け継いでいるなって今になって実感してます(笑)。日本に住んでいた当時は「列べ」と言われたら列ばなきゃいけないっていう規律を理解するにつれ、「別に並ばなくても良くない?」って言うような、 日本人の中でひとりだけ浮いている存在の父親を恥ずかしいというか。日本語もそれほど話せないないのに目立ってほしくない、「隅っこで黙っててくれ!」って気持ちはあったかもしれません。今思い返すとすごい申し訳ないけど(笑)。なんなんですかね。とにかく目立つのが嫌だった。

伊島 周りと違うことが恥ずかしいって感覚がすごくあったんだね。ニキの場合、そういう恥ずかしい気持ちが自然に出てきたのか、それとも周りから恥ずかしいことだって教えられたから恥ずかしくなったのか、どっちなんだろう?

ニキ 言葉で言われなくても空気を感じるんじゃないんですかね。自分自身が周りと違う行動をとるたびに母親や先生や周りの子どもから注意されていたのかもしれないし。子どもって幼稚園ぐらいの年齢からお互いを監視したり告げ口したりするウザい習性、出てきません?「そんなことしたらダメなんだよ、先生に言っちゃうよ。」とか(笑)。すでにあの年齢から仕切りたがる子供と他人を気にしない子供に分かれてくると思うんですけど、当時からわたしは仕切りたがる子どもに目を付けられやすかったのか、自由にやろうとしてるところに「そんなことしたらダメだよ」ってよく言われてた気がします。ウザいんだけどこんなに注意されるということはわたしが悪いことをしているからなのかな、ターゲットにされるのは気持ちよくないからみんなと同じことをしなくちゃ、って考えるようになって。当時カトリック教会の日曜学校に通っていたんですけど、毎年夏に林間学校でキャンプに行くんですよ。私が8歳で妹が5歳で、、父親も保護者のボランティアとして参加したんです。子どもたちは毎日のスケジュールが決まっていて、保護者達はそのあいだいろいろ作業があったと思うんですけど、ふと気がついたら自分の父親も妹もいないことに気づいて、探しに行ったら保護者達の宿泊部屋で二人で堂々と昼寝してるんですよ(笑)。「パパなにやってんの?昼寝なんかしてないでちゃんと働いてー!」って。でもニュージーランド人からしたらキャンプって遊んだりリラックスしたりするもので。なのに当時のわたしは他の保護者たちと一緒に行動していないことが許せなかったんですよね。「ちゃんとみんなと同じことしてください!」って。なかなか面倒くさい子供だったんじゃないんですかね(笑)。

伊島 それはお父さんが日本にいた時の話だよね。仮に当時ニュージーランドにいたとしても同じことになっていたかな?

ニキ 父親は日本ではアウトサイダー的なところがあったけれど、ニュージーランドの方では小さいことにいちいち規範がないというか、団体行動でもちゃんと最低限のことをやっていれば昼寝したけりゃ昼寝してもいいし、あなたにとって重要なことがあるならどうぞそっちを優先してください、周りがサポートしますよ、みたいな感じなんですよ。 自分を縛るものが少ないって感じる部分はあったんですけど、移住したばかりの頃の私には、まったく規律がないのもなんだか不安だったんですよね。小学校にも中学校にも時間割がなくて、毎朝、先生がその日の授業の流れを説明するんですけど、「いや時間割とかちゃんと作ってほしいんだけど…」ってモヤモヤしてましたね。規律がないと不安になる小学生でした。

ミックスの中にもさらに細分化されたミックスの多様性があるんですよ

伊島 ニュージーランドでは逆にお母さんが浮いた存在にはならなかったの?

ニキ ニュージーランドって移民の国ではあるけど、人口の6割ぐらいがヨーロッパ系の白人なんですね。、私たちが住んでいた街ではアジア人も多かったけど、「移民」のイメージが強かったかもしれない。母親は結婚前から英語は喋れていたんでコミュニケーションに問題はなくてもカルチャーショックはあっただろうし、母なりに強く生きようとしているのは子供の頃から察していました。だからか、アジア系の母親が恥ずかしいと感じることは、そんなになかったかな。小学校高学年になる頃にはうちの家族と周りとの違いに関しては「そういうもんだ」って受け入れられるようになったんだと思います。

伊島 日本って他の国と比べて、周りと一緒であることを強要する空気がすごく強い国ってことかな。

ニキ ムラ社会の名残りじゃないですかね。本で読みかじったぐらいの知識ですけど、昔は村ごとの集合体があって、それを遠くから管理しているエライ人がいて、年貢を納めろだの、毎年の行事やしきたりをちゃんと行えだのって監視される社会だったらしいじゃないですか。そういう縛りに従わないと村の絆が崩れるとか、年貢をきっちり納めないと全員に迷惑がかかるとか、そういう総合的なプレッシャーが何世代も続いていたからなんじゃないんですかね。

伊島 外国人が入ってきてニキみたいなハーフとか混血がもっといっぱい増えてさ、みんな違うからいいじゃんって感じに早くならないかな。

ニキ これまでいろんなハーフやミックスや外国ルーツの人たちと接してきて思うのは、自分が生まれ育った環境がちょうどよかった、っていうのは変な言い方かもしれないけど、物心ついたころから大人になるまで自分のルーツのどちらの国の言葉とも文化とも同じくらい接する環境を与えられたんだなってこと。そのことに感謝できるようになったのは比較的最近のことなんですけど。 自分自身の好奇心や探求心もあったからだとは思いますけど、誰もが自分のルーツをしっかり継承しているわけではないんですよね。国籍は外国籍だけど日本で生まれ育った人が「日本人」のアイデンティティを持っていたとしても、周りからそれを否定されたり、「よそもの」のレッテルをずっと押し付けられて生きているケースもいるし。そういう人の苦労やコンプレックスは私のものとはぜんぜん違うはず。ミックスの中にもさらに細分化されたミックスの多様性があると思うんですよね。

伊島 さっきのLGBTの話に戻るんだけど、BuzzFeed Japanの『オトマリカイ』っていういろんなLGBTの人と対談する企画番組を観ていたんだけど、登場する人たちにハーフの人が多い感じがするんだけど、LGBTの人ってハーフの人が多いのかな?そういうことってあると思う?(笑)

ニキ (笑)そういう人が多くピックアップされるとそういう印象になっちゃうのかもしれませんね。 セクシュアリティやジェンダーの多様性って肯定的な国とそうじゃない国がありますけど、人類に共通して存在するものなのではないかってわたしは思います。 これまでたくさん研究が行われてきたけど、ゲイの遺伝子みたいなものって存在しないんですって。じゃあどうして同性愛とか世間的に「普通じゃない」とされる人がいるのかは今でも研究が続いているらしいです。これはあくまで自論なんですけど、生物学的にそういう特性がある人は実はたくさんいるんだけれど、文化的な外圧や社会的な疎外感の空気を幼いころから吸収していて、自分の中にある感覚を「絶対に隠さなきゃ」って無意識に抑圧するようになるんだと思うんですよ。同性愛がバレたら処罰されたり死刑にされたりする国で生まれる人は命がけで自分のアイデンティティを隠さなきゃいけないわけじゃないですか。話を日本に戻すと、日本みたいな国でミックスルーツとして育った人って物心ついたころから周りと違うってことをイヤでも気づかされるわけですよ。わたしもそうだけど、マジョリティの人達みたいになろうとしても結局ムリだなと悟っちゃうから、どうせマジョリティになれないんだったらわたしはわたしとして生きるしかないって、反動で行きついたのがそこだったってことだと思うんです。みんながセクシャルマイノリティってわけじゃないけど、あくまでもとからそういう傾向があった人にとって、周りと同調するプレッシャーから外れると、自然に出てくるんじゃないかな。私もあまり自分のセクシュアリティの話とか公でするわけじゃないので、こういう話をすること自体まだ慣れてない気持ちもありますけど、自分の「違い」を受け入れたいなって思ったら、「じゃあもう全部出しちゃおう!」って振り切った感じですね(笑)。

伊島 コロナで外出自粛が続いている状況だけど、毎日なにしてる?

元カレとは人種とかアイデンティティについてたまにケンカしながらよく語り合っていました

ニキ いま自分の部屋に今ますけど、日頃は基本ここらへんにいます(笑)。コロナが始まって最初の1ヶ月ぐらいは部屋でスマホいじったり片づけしたり、とにかく休んでましたね。2020年の3月末ぐらいからドーンって数カ月沈んでいて、季節性うつみたいな感じで、、もうとにかくやる気が起きなくて。外に出る自由を失っただけで、「生きてる意味が分からない…」みたいな(笑)。SNSでは政治とかについて毒づいていたけど、これを機に自分が生きる道にもうちょっと集中した方がいいんじゃねえか?って考えられるようになったかな。最初にズーンと沈んでからドンッ!て前に進めるようになった感じ。

伊島 ニュージーランドの方は(2020年6月の時点で)一旦収束したらしいね。

ニキ やっぱり国の決断が早かったからかな。インスタとかでニュージーランドの友だちが近況を書いているのを読んでいるし、父親とはコロナが始まってから前よりひんぱんに話すようになったんで、あっちの話題も入ってきていますけど。日本のニュースでジャシンダ首相のコロナ対策が評価されているみたいで、見ていて誇らしいですね。わたし首相のことはファーストネームで呼んでますもん(笑)。ニュージーランドって、昔はヨーロッパ系の植民者と先住民のマオリしかほとんどいなかったけど、今は世界各地から移民が集まっていてダイバーシティを国の誇りとしてもっと称賛しようって空気が特に強くなっていると思います。 以前お付き合いしていた相手が中華系マレー系オーストラリア人だったんですけど、3世代前に中国からマレーシアに移住した家系で、両親がオーストラリアに移住してから彼がそこで生まれたんです。血筋も顔も100%中国だけどしゃべる言葉も人格もオーストラリア人。彼はもう何年も日本に住んでいるんですけど、出身地がオーストラリアだと言うと 「え?」って顔をされることがあるんですって。日本人が想像する「オーストラリアっぽい顔」じゃないから。でも、その人の地元ででも「お前どこから来たの」って聞かれる事もあったらしいです。同じ地元出身なのに、顔がアジア系だから白人オーストラリア人と同じ地元民として見られない空気が強かったって。

伊島 そういうのってやっぱり向こうにもあるんだね。

ニキ あります、あります。ずっと前にバズったもので、、欧米に住むアジア系がWhere are you really from?(本当の出身地はどこなの?)って聞かれることがどれだけウザいかって説明する動画があるんです。何世代も前からアメリカに住んでいるアジア系アメリカ人女性に白人アメリカ人が「君はどこ出身?」と尋ねると彼女は「カリフォルニアだよ。」と答えるんですけど「いやいやそうじゃなくて本当はどこから来たの?中国?ベトナム?」としつこく尋問するんです。すると今度は彼女が白人に「あなたこそどこから来たの?イギリス?オランダ?ドイツ?あなたの祖先はどこから移住してきたの?」って返すんですね。 元カレとは人種とかアイデンティティについてたまにケンカしながらよく語り合っていました。二人で並んでいると、どっちかというと彼の方が日本人に見えたんですよ(笑)。でもパッと見ガイジンの私の方が言語とか文化とか、アジアのルーツにより強くつながっていたと思います。彼はオーストラリアの郊外で両親の郷土料理を食べたり同じ中華マレー系の家族の子どもたちと遊んだりして育ったけど、アイデンティティやルーツとのつながりに関しては私のそれとは少し違っていたと思います。 彼自身も日本に初めて来たころは自分のアジアのルーツともっと深くつながれるようになるかと想像していたようだけど、こっちに来ても自分は外国人だし日本人は自分を同胞と見ようとしない。同じアジアでもここは自分のルーツとは関係ないんだと気づかされたって言っていました。彼とそういう話をよくするようになってからアイデンティティや自分が世間から人種的にどう見られているかについてもっと深く考えるようになりました。

ニュージーランド人は白人がデフォルトだと無意識に考えている人がまだ多いので、わたしのような人は「ニュージーランドっぽくないね。元々はどこ出身?」とはあまり聞かれないんです。うちの家系だって3~4世代前は移民なのに、白人だから当然のように受け入れられるけど、アジア系など他の民族ルーツの人はいつも聞かれる。それってフェアじゃないなと思ったから、それからは生い立ちを聞かれたら「父親がイギリスとスコットランドにルーツを持つニュージーランド人だ」と説明するようにしています。こういう話は日本じゃぜんぜん話題にならないと思うんですけど、世の中の白人中心主義がまだ強い部分を自分にできる範囲でちょっとでも変えられたらいいなと思うんですよね。

伊島 僕が子供の頃には、オーストラリアは白豪主義っていうふうに言われていて、南アフリカもそうだったけど、白人至上主義で黄色人種や黒人は下っていうのを、当たり前のように言っていたわけです。だけど、やっぱりミックスは生まれていくわけで、そんなミックスの存在こそが、みんなの意識を変えていく原動力になるんじゃないかなと思うんですけどね。ドナルド・トランプが、非白人議員に対して「元いた国に帰れ!」っていう発言をしたことがあるけれど、それを言うなら、アメリカにいる白人全員「ヨーロッパの国々に帰れよ!」っていうことですからね。アメリカもオーストラリアもニュージーランドも、元をただせば白人の土地じゃなかったわけだから。もういいかげん、白人とか黄色人種とか黒人とかいう、肌の色で分けるのやめたほうがいいと思う。だけど、すごい真っ黒な肌の人とか、逆にすごく真っ白な肌の人とかを見た時に、「すごくきれい!」とか「かっこいい!」って感じてしまう自分もいるってことも確かだけど、それって優劣ではなくて、その人の特徴であったりアイデンティティっていうことなんじゃないかなと思うんだけどね…

ニキ わたしもそう思います。

伊島 今日はありがとうございました。

ニキ こちらこそ、ありがとうございます。

One comment

  1. 米良栄二 -

    おもしろかった。
    ニキさんも伊島さんもいろんな体験を経て、すごくオープンマインドになった、ってわかった。いろんな違和感を通して先入観を克服していった。
    日本もこれからそういうステップを踏んでいかなくちゃと思います。

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